中編


 グレンの両親は、共に新聞記者だった。贈賄に手を染める記者や心ない取材をする記者がいる中では珍しく、正義感に溢れ、真実を世に伝えようと努力していた。そんな両親を、グレンは尊敬していた。

  

 しかし、両親はヴァレリエートの黒い噂を明らかにしようと独自に活動をしていた最中に通り魔によって殺された。グレンが10歳の時だった。

 犯人は精神的な病気であったため、「責任能力が無い」として牢屋には入れられず、精神病棟に入れられた。後にグレンの兄の調べによって分かったことだが、両親の死はヴァレリエートによって仕向けられたものだったという。

 

 思えば、グレンと教団との因縁はあの時点から既に始まっていたのだ。

 

 兄弟仲はあまり良いとは言えなかった。真面目な兄は正義感溢れる両親を尊敬していただけに、不真面目に遊びまわって過ごす弟に対して不満があったらしい。

 あの日――兄が行方不明になった日も、顔を合わせた途端に口論が勃発した。

 

「グレン!昨日の夜はどこ行ってたんだ!?もしかして、また遊び歩いてたのか!クラブだか何だか知らんが、もうちょっと真面目になろうとは思わないのか!?」

 

 いつもは昼過ぎまで眠りこけているグレンが、あの日は珍しく早く起床した。そのお陰で目覚めた直後から兄と顔を合わせ、口論が始まってしまったのだ。

 まだ15歳だったグレンは、兄の小言が始まると聞えよがしに舌打ちをしてみせた。

 

「チッ……うるせえな、クソ兄貴。毎度毎度、同じセリフばっか聞かせてよ、大根役者かい?」

「お前なあ…!!」

 

 おどけた調子で答える弟に、兄は怒鳴り声を上げかけたが、やがて口を閉じる。呆れてものも言えない、といった様子だった。

 

「…っ、とにかく!俺は少し出かける。俺が帰るまでには、お前の部屋、ちゃんと掃除をしておくんだぞ?あんな汚い部屋に居たらそのうち病気に――」

「へいへい、覚えてたらそのうちやっとくよ。…ったく、アンタはオレのカーチャンかよ」

 

 髪をがしがしと搔きながら、兄の言葉を遮って答える。弟の不真面目さにうんざりしたのか、兄はため息を吐いた後に何も言わずに家を出て行った。

 

 そして、それきり帰ってこなかった。

 

 

 

*********

 

 

 

 そして今、兄とグレンはおよそ3年ぶりの再会を果たしている。

 兄は変わり果てた魔物の姿で、弟はより大人びた姿で、お互いがお互いに対して殺気を放っていた。

 

「離れ離れになっていた兄弟の、感動のご対面ね。写真でも撮ってあげましょうか?」

「そりゃあいいな、俺がフレーム一面をお前の血で飾ってやるぜ?」

 

 少女がひっきりなしに飛ばしてくる野次に徴発で答えながら、グレンは変わり果てた兄をじっと見た。

 兄――ザラデル・マスグレイヴの容姿は変わり果て、弟とよく似ていると評された顔は体毛に隠れ、弟と違って比較的色白だった肌は焦げ茶色のごつごつとした醜い皮膚に変わっている。散々小言を聞かせてきた口も、今や意味のない呻り声を上げるばかりだった。

 

「…マジだったんだな、あの言い伝え。死んだ人間が魔物に変わるなんて、信じちゃいなかったが……」

「アンタのアニキ、頑張ってたわよ?あたし達ヴァレリエートが危ないコトしてるっていう証拠を集めてきて、ここに乗り込んできたんだから。教団の悪事の証拠を集めるだなんて、ビッグフットを捕まえるのよりも難しいわ。ほんと、ご両親に似て大した行動力よねえ?」

 

 乾いた響きのあるグレンの呟きとは対照的に、楽しげな少女の声が部屋に響く。2本のククリナイフを両手で構えたまま、グレンは視線だけを背後に立つ少女に向けた。

 

「ま、実力行使で抑え込んで、実験に使わせてもらったけど。すぐに死んじゃってこのザマよ」

 

 少女が魔物と成り果てたザラデルを顎でしゃくる。ザラデルは少女の言葉の意味を理解しているのか理解できていないのか、血の底を這うような低いうなり声を上げた。

 

「…しかしよお、このクソ兄貴をこんなになっちまっても生かしといたって事は、まだ何か企んでやがるのか?」

「ハッ、当然!でないとこんな魔物、わざわざ生かしておく意味なんてないじゃないの!」

「――趣味が悪いねえ、相変わらず」

 

 いつものような軽口を叩いてはいるが、グレンの表情は怒りに染まっていた。すると、その怒りを自分への敵意と受け取ったのか、ザラデルが咆哮をあげながら巨大な手を振り上げる。

 

「おっ、と!」

 

 こちらを叩き潰そうとするかのように振り下ろされた巨大な手を、グレンはひらりとかわした。

 それまでグレンが立っていた場所の床にザラデルの手が勢いよく振り下ろされ、床の建材に使われていたレンガが砕けてあたりに飛び散る。

 その様子を見て、グレンは口笛を吹いた。

 

「ヒュー、やるねえクソ兄貴!そんじょそこいらの魔物なんかよりも愉しめそうだ!」

 

 ザラデルが腕をもう一度振り上げたところで、グレンは間髪入れずにその懐に潜り込む。

 こちらを見下ろすザラデルの虚ろな目と、グレンの愉悦と活力に満ちた目ががちりと視線を合わせる。

 

「――よお、ザラデル。アンタ、何やってんだよ」

 

 グレンは少女に聞こえないような小さな声で、ぽつりと呟いた。

 

「あんだけ目の仇にしてたコイツらのオモチャにされて、ただ暴れまわるだけの品のないバケモノになってよ……アンタ、こんな終わり方するような奴じゃねえだろうが。これ以上見っともない所を見せるってんなら、いっそ俺が……」

 

 愉しむような声を上げていた時とは打って変わって、グレンの声には切なげな響きが含まれていた。

 

 兄弟仲が悪いからといって、兄を嫌っている訳ではなかった。ましてや、憎んでも居なかった。すれ違いが多すぎて、お互い意地になっていただけだった。

 だからこそ、やるせない。憎んでいた教団に死んだ後も尚利用され、道具にされ続けている兄の姿が、どうしようもなく切なくて、やるせなかった。

 

 真剣味を帯びた弟の声と目に、ザラデルは一瞬動揺したかのようにうろたえる。

 その瞬間、ザラデルに確かな隙が生まれた。グレンは瞳に切なげなものを湛えたまま、にやりと口角を吊り上げる。

 

「さあ――終わらせてやるぜ!アンタのカッコ悪くて惨めなダンスをなぁ!」

 

 グレンはザラデルの懐に潜り込んだまま、両手に構えたククリナイフを縦横無尽に振り回した。

 湾曲した鋭利な刀身がザラデルの腕や身体に次々と大小さまざまな傷を付けていく。イヤッフウ!とはしゃぐようなグレンの歓声があがった。

 

「グオオオオオッ!!」

 

 やがて、ザラデルが痛みに耐えかねたように咆哮した。鉤爪の生えた両手を振り上げ、弟に向けて勢いよく振り下ろす。

 グレンはそれをククリナイフを交差させる形で受け止めた。

 

「熱烈なスキンシップじゃねえか、アンタも随分と正直になったもんだな!いつだってクソ真面目で、〝完璧な兄″気取りで!口を開けば…っ!小言ばっかだったくせによ!」

 

 ザラデルの両の鉤爪とグレンの2本のククリナイフが押し合い、つば競り合いの状態になる。

 ギギギ、と歪んだ金属音が小さく鳴り響いた。

 

「…なんで、一人で勝手にこんな事になってやがんだよ」

 

 ずっと愉しげにしていたグレンの口から、再び空虚な呟きが漏れる。彼の中では、強い魔物と戦える愉しさと魔物となった兄へのやるせなさが織り交ざって複雑な感情となっていた。

 愉しいけれど、楽しくはない。この戦いを終わらせたいけど、終わらせたくない。

 

(――バカかオレは。さっさと終わらせねえと、ザラデルだって……)

 

 心の中に暗い翳りが差す。ザラデルから視線が外れ、ククリナイフの柄をじっと見つめる形になった。俯きがちになった弟を見て、ザラデルが怪訝そうに唸り声をあげる。

 

「…ッ!グ、グオオッ!!」

 

 すると、ザラデルが急に焦ったような声をあげた。はっと我に返ったグレンがその視線を追うと、ザラデルの視線はグレンの後方へと注がれている。

 

「…?なんだ、急によそ見なんて――」

 

 焦るザラデルの様子を見て、グレンはおどけたように笑って見せようとした――が、それは紡ごうとした言葉もろとも遮られてしまう。

 

「っぐ…う――」

 

 背中の皮膚を鋭利な何かが突き破り、骨の隙間をかいくぐって肉を裂きながら身体の中へと侵入してくる。ごぷりと血が溢れる音が耳に届き、鈍い痛みが走った。

 

 肩越しに振り向くと、背後に立っていた少女が細身の剣をグレンの背中から胸めがけて突き立てていた。グレンと目が合うと、少女はにやりと嗤って見せる。

 

「…ヤンチャ坊主とはいえ、肉親相手なら隙がでかいわね、アンタ」

「――っ、て…めぇっ!」

 

 突き刺された剣の刃先はグレンの体内を抉りながら進み、やがて胸の中心部――心臓へと到達した。剣の刃先はカマのように曲がっているらしく、筋肉や血管をいたずらに傷付け、破壊していく。少女が剣を動かすたびに電流が走ったような感覚と想像を絶する痛みがグレンに襲い掛かった。

 

「…ここね?……アンタの、心臓!」

 

「っぐ、があああああああああああああっ!!」

 

 少女は剣の刃先でグレンの心臓を何度かつついて弄ぶ。その度にグレンは身体中を引っ掻き回されるような痛みが走り、体内の器官を千切りとられるような感覚を味わった。

 

 やがて――少女は、グレンの心臓に刃先を思い切り突き立てた。ぐちゃり、という嫌な音がグレンの体内から耳へとダイレクトに届く。

 

 そして、しっかりと心臓に刃先を突き刺した少女は、グレンの身体に刺していた剣を一気に引き抜いた。ぶちぶちと神経や血管が引き千切れる音が鳴り、今までに味わったことのない痛みが襲い掛かる。

 

「――――――――ッ!!」

 

 声にならない絶叫と共に、グレンは仰け反って仰向けに倒れ込んだ。

 朦朧とした意識の中で少女を見上げると、白い足を広げて仁王立ちをした少女の手に、しっかりと握られた細身の剣――その刃先に、未だ脈打つ自分の心臓が突き刺さっているのがはっきりと見えた。

 

(ハハ…ザラデルより、俺のがよっぽどカッコわりぃなぁ……これじゃ…)

 

 ふっと自嘲的な笑みが漏れる。体温が自分の身体から急速に無くなっていくのが手に取るように分かった。

 

 どこかから、ザラデルの切なげな呻き声が聞こえてきたような気がした。

 

(…わりぃな、ユリウス……)

 

 そして間もなく、グレンの意識はぷっつりと途切れてしまった。