空ろな赤眼


 あるところに、双子のように寄り添い、隣り合って存在する2つの世界”クレアシオン”と”デストルクシオン”があった。

 

 クレアシオンは魔術などの西洋文明を発展させ、デストルクシオンはロボットなどの機械文明を発展させていた。

 

 対照的な文明を持つ二つの世界はデストルクシオンの人間が開発した転送装置によって繋がっていて、人々はお互いの世界を行き来するのが当たり前になっていた。

 

 しかしある時、デストルクシオンの人々がわずか数日で死に絶え、壊滅してしまう。

 

 突然の事態に戸惑うクレアシオンの人々に、

デストルクシオンから命からがら逃げてきたひとりの男が言った。

 

――死神が現れた。デストルクシオンの人間は、あいつにみんな殺されてしまった。

 

 一つの世界の人間を皆殺しにした”死神”を恐れたクレアシオンの人々は、疲れ果てて眠りについていた死神を、デストルクシオンの奥地に閉じ込めてしまった。

 

 それ以来、クレアシオンとデストルクシオンを人が行き来することは無くなった。

 

 

 

************

 

 

 

 西洋文明が発展し、豊かな大地と自然に恵まれた世界、クレアシオン。

 なかでも最も人口が多く、隆盛を極めている大国”アルムバント”には、洋風建築が多く並ぶ首都があった。

 

 華やかな建物が並ぶ繁華街には、行きかう人々の笑い声が響き、子供たちが元気よく駆け回っている。太陽の光はさんさんと降り注ぎ、花や木がみずみずしく育っていた。

 

 そんな平和を象徴したかのような繁華街の光景を横目に、道の端をとぼとぼと歩く少女が居た。

笑い合う人々は少女の姿を見ると、驚きと同情がこもった目を向けながら、皆一様に少女を避けていた。

 どこかから、ひそひそと会話をする声まで聞こえてくる。

 

 気味の悪いものを見るようなその反応に、少女は泣きそうになるのを必死にこらえた。

早くこの場を立ち去りたい一心で、俯きながら早足で歩く。

 すると、少女の顔を見た一人の幼い少年が、大きな声で言った。

 

「…このおねえちゃん、目が片っぽしかないよ?」

 

 その途端、びくりと少女の細い肩が跳ねた。

少年の母親らしき人物が慌てて少年を叱りつけて少女に頭を下げたが、少女の耳には届いていない。その肩は小刻みに震えていた。

 

 少女はますます俯くと、何も言わずに走り出す。その小さな背中に向かって声がかけられたが、少女は振り向かずに走り去っていった。

 

 

「……はぁ、はぁ…はぁ…んっ、……はぁ」

 

 大通りから続いている裏路地で、少女はようやく立ち止まった。肩で息をしながら周囲に人が居ないことを確認すると、大きく安堵の息を吐く。

 

「…もう、いや……」

 

 息を整えながら、裏路地の闇の中に消え入りそうなほどに小さく、震える声で呟いた。

 その場に座り込むと、少女は手でそっと自分の右目のあたりに触れる。しかし、そこには本来あるはずの”目”は無い。生々しい傷跡を隠す眼帯があるだけだった。

 

――お前、片方しか目がねえのかよ。気味わりいなぁ、モンスターみてえだ

 

 不意に、クラスメイトから言われた言葉が脳裏をよぎる。

 不登校となってからは一度も学校に足を運んでいないが、クラスで虐げられ、嘲られた記憶は鮮明に少女の脳裏に焼き付いていた。

 

「…もう、嫌。こんな生活…こんな…、人生……」

 

 ふらりと立ち上がると、少女はおぼつかない足取りで歩き始める。

 ふらつきながら裏路地を歩く少女の姿は、大通りを歩く人々の目には映っていなかった。

 少女に手を差し伸べる者は、誰もいない。

 

 

 目が片方しか無いことを理由に、少女はクラスメイトや友人、街の人々からも気味悪がられ、遠巻きにされてきた。時には暴力を振るわれ、時には物を奪われた。

 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと、惨めな思いばかりしてきた。

 

――この目さえ普通であったなら、こんな思いをせずに済むのに。

 

――もう片方の目を取り戻す事ができればいいのに。

 

 惨めさを味わう度に、少女は心の中で何度もそう願った。

 いじめに耐え切れずに不登校になってからは、もう片方の目を取り戻す方法を探るために毎日欠かさず図書館へ通うようになった。

 

 そうして少女は、ひとつの可能性に行き着いたのだ。

 

 

「……着いた…」

 

 長い間歩き続けた少女は、街の出入り口である大きな門の前にたどり着いた。

 門の向こうには森林が広がっている。周囲には、森林を取り囲むように鉄線が張り巡らされていた。

 そこは、アルムバントが長らく立ち入り禁止としている場所だった。

 

 森林の奥に何があるのか、少女は知らない。それは図書館のどの本にも載っていなかったし、アルムバントに住んでいる大人たちですら知らないことだった。

 

(ここなら、大人でも知らないようなものがある…ここなら、私の目を取り戻す方法が、見つかるかもしれない…)

 

 国が立ち入りを禁止している場所へ勝手に入った事がばれたら、逮捕されてしまうかもしれない。しかも、森林の奥に少女の目を取り戻す方法につながるものがあるという保証は無いのだ。

 

 それでも、少女が掴んだ手がかりはこれしかなかった。藁にも縋る思いで、少女は門の外へ出て森林へと近付いた。

 

 鉄線が破れて穴が開いている部分を見つけると、小さな身体を駆使してそこをくぐり抜ける。

 なんとか森林へと足を踏み入れた少女は、そのまま奥へ奥へと歩き始めた。

 

 はやる気持ちを抑えられずに、少女の足取りは自然と早くなる。

 やがて少女が駆け足になって森を進んでいくと、やがて小さな広場のような場所へと行き着いた。

 示し合わせたようにその場所にだけ木が生えておらず、中心には、この森林には似つかわしくない謎の機械がぽつんと置かれている。

 

 何とも言い難い奇妙な光景に、少女は目をしばたたかせた。

 

「何かしら、これ…。自然のものじゃないわよね…?」

 

 少女は何かの台座のような形をしたその機械に近づくと、そっと手を触れた。

 

 その瞬間、少女は何かに酔うような感覚を味わった。その途端に視界が真っ白になり、身体が宙に浮いているかのような感覚に包まれる。

 何も見えず、何も感じない。少女はとうとう残った目まで駄目になってしまったのかと、身を固くした。

 

「え…っ?何?」

 

 しかし、その感覚はすぐに消え去った。真っ白になっていた視界はすぐに正常になり、宙に浮いているような感覚も、酔ったような気分も嘘のように消えていく。

 

「何だったの…?今、何か…」

 

 戸惑いながら周囲を見渡すと、先ほどまでの森林とは何かが違うような、おかしな気配がした。

同じような森林は周囲に広がっているが、先ほどまでとは確実に何かが違っている。

 

 そして困惑した少女が正面に目を向けると、そこには見慣れない建物が建っていた。

 アルムバントでは――クレアシオンではまず見ないような、金属製の壁。無機質な四角い建物には、屋根らしきものは付いていなかった。

 

「何、これ…!?こんな建物、さっきまでは無かったのに…!」

 

 驚愕に目を見開きながら、少女は恐る恐る建物へと近づいた。周囲には動物の鳴き声ばかりが響いていて、人間がいるような気配は恐ろしいほどにしない。

 

「あの…えっと、誰か…居ますか?」

 

 やや小さな声で呼びかけながら戸を叩く。しかし、人の声も、姿も、気配も、何もしなかった。

意を決して、少女は扉に手をかける。どうやら鍵はかかっていないようだった。

 少女が思い切って扉を押すと、扉はいとも簡単に開いた。

 

「…誰も、いないの?」

 

 建物の中には埃がたまっていて、人が暮らしているような形跡は見当たらなかった。

 少女は恐る恐る建物の中へと足を踏み入れると、音を立てないようにして扉を閉める。

 

 あまりの埃くささに息をつめて辺りを見回すと、少女は部屋の奥に誰かが倒れているのを見つけた。

 

「え…ひ、人!?あの、だ、大丈夫ですか!?」

 

 少女は慌てて駆け寄ると、倒れている人物の傍らにしゃがみ込んだ。体格からして、どうやら倒れているのは男性のようだった。

 ひとまず男性を仰向けにしようとして、少女は男性の身体に手をかけた。――が、いくら力をかけても、男性の身体はびくともしない。

 

「お、重い…私ひとりじゃ、動かすこともできないわ…」

 

 やがて仰向けにするのをあきらめて、少女は倒れている男性の肩を叩いた。

 

「大丈夫ですか?…あの、大丈夫ですか?」

 

 男性の耳元で、精一杯声を張って呼びかける。何度か呼びかけを繰り返していると、やがて閉じられていた男性の目が、ゆっくりと開かれた。

 

「あっ、良かった…!あの、大丈夫ですか?どこか、具合が悪いんですか?」

 

 少女は男性が目を覚ましたことに安堵し、表情を綻ばせながら問いかける。

 しかし、男性はそれには答えない。無言のままゆっくりと体を起こすと、少女の顔を真っ直ぐに見据えた。

 

 その視線を受けて、少女は息を飲む。

 ひとつに束ねられた長い白銀の髪に、陶器のような白い肌。そして、見据えられると吸い込まれてしまいそうになる真っ赤な瞳――。男性の容姿は、恐ろしいほどに現実離れしていた。

 

 男性は赤い瞳でじっと少女の顔を見つめる。少女は自分がどこか緊張しているのを感じながら、男性に問いかけた。

 

「私は、アイビー。…ねえ、あなたはだれ?」

 

 男性は赤い瞳で少女の顔を見つめながら、アイビー、と少女の名前を口の中で復唱した。

 やがて、何かを了解したようにゆっくりと瞬きをすると、口を開いた。心地よいテノールが少女の耳を擽る。

 

「…ホロウ。それが名前だ。それ以外は、わからない。おれは、おれの過去を知らない」

 

 それは後に、少女にとって一生忘れられない出逢いとなるのだった。