第10項【パンドラの剣】


「戦争だぁっ!戦争になるぞぉっ!」

 

無常にも届いてしまったその声を聞いて、

男は住人の家を出て走り出しました。

住人に引きとめられますが、

男には聞こえません。

 

男は声がした方へ向かって、

どんどん走っていきます。

男がそれをいやだと思っても、

もう誰もころしたくはないと願っても、

男の足は止まりません。

 

人と人があらそっているのを見ると、

あらそいに関わっている人すべてを

ころしてしまう。

男はそういういきものでした。

 

たとえ男自身がいやだと思っていても、

男の意思とは関係なしに身体がうごくのです。

 

そういう風に造られてしまったから、

男はそうやって生きなければいけませんでした。

 

そうして声が聞こえてきた広場にたどりつくと、そこにはたくさんの人が集まっています。

ちいさな町を占拠しようとする兵士たちと、

それに抵抗する人たちが、

今にもあらそいを始めようとしていました。

 

兵士のひとりが、やがて剣をふり上げます。

 

男は、やめろ、と叫びたくなりますが、

声は出ません。身体がゆるしてくれません。

 

剣がふり下ろされて、命がひとつ散りました。

 

そうして、

男の身体はうごきはじめてしまいました。

 

あらそいをなくすために。

 

人びとをころすために。

 

やがて、男を家に招いてくれた住人が

あらわれました。

男の身体は、

その住人をもころそうと近付きます。

 

人びとをころしたのが男だとわかると、

住人は男へむかって叫びました。

 

「こんなのは嬢ちゃんの幸せじゃない」と。

「だれもわらえない」と。

「おまえもつらいだろ」と。

 

男は、とっくにそれが分かっていました。

わかっていても、

いやだと思っていても、

止めたいと願っていても、

止めることはできないのです。

 

男は、そういういきものとして

造られてしまったから。

 

住人はやがて、ころされてしまいました。

 

男が、ころしてしまいました。

 

 

 

「ホロウっ!やめて!」

 

 血濡れの戦場には似つかわしくないほどに細く頼りない声が、しかしはっきりと聴覚センサーに届いて、ホロウの身体はピタリと動きを止めた。

 戦闘行為に入っていたボディが活動を止め、強制戦闘プログラムが停止して全ての制御が思考プログラムの下に戻っていく。

 

「アイビー……」

 

 ようやく思考の通りに動かせるようになった口が、声の主を呼ばわった。路地の向こうから駆けてきたアイビーは、そっと返り血で濡れたホロウの手に触れる。握りつぶしてしまわないように注意を払いながら、ホロウは恐る恐るその手を握り返した。

 

「……おれは」

 

 悲しみに心が染まっていようとも、決して震える事のない声と唇。けれどアイビーは、表面には現れないホロウの悲しみを悟っているかのように静かに首を横に振った。

 涙を浮かべながらも微笑みと共に示されたその仕草に、ホロウは黙って目を伏せる。

 

 アイビーはホロウの顔に着いた血を自分の手が汚れるのも厭わずに拭き取って、凛とした声で告げた。

 

「行きましょう」

「どこへだ」

「あなたが、傷付かない場所」

 

 濡れた瞳で静かに告げたアイビーに、ホロウは彼女から視線を外して俯いた。「そんな場所があるのだろうか」という呟きが漏れて血濡れのスラムへと消えていく。

 

 アイビーが何かを言いかける気配がしたが、ホロウはその先を言われる前に顔を上げた。すぐさまアイビーを背中に庇うと、ブレードを目の前に向ける。

 

「ホ、ホロウ!?」

 

 困惑するアイビーに「じっとしていろ」と短く告げながらも、眼前から視線は外さない。

 やがて、血生臭い広場であろうと意に介さずに平然と歩いてくる一人の影が現れた。身を包む鎧に刻まれているのは、ダクテュリオス帝国の紋章。

 

「…これは貴様の仕業か、機械人形」

 

 それはホロウにとっては二度目の邂逅となる、帝国の皇子アーベントだった。アーベントは血にまみれた広場を見渡してから、鋭い刃先のような視線でホロウを見据える。

 

「そうだ。これはおれがやった」

 

 常人ならば向けられただけで竦み上がってしまうだろうその視線を受けながら、ホロウは淀みなく答えた。その返答に何を思ったか、アーベントは眉を潜めて更に言葉を募らせる。

 

「…僕は、お前というものを知らない。だから、お前の生き方や行為を、責めるつもりもない。だが……これは、何の為にやったんだ」

 

 広場を見渡した時、アーベントの目には無残にも殺された人間たちの姿が映っただろう。頭が抉れた者、手足を千切られた者、心臓を貫かれた者、首を折られた者――皆、ホロウの手によって死に至らしめられた人々だ。

 

 ダクテュリオス帝国の〝勝利″は、どんな小さなものであっても正々堂々と戦って得た勝利でなければならない。その教えを重んじるアーベントの目に、この惨状はどう映ったのだろう。

 

「お前は、ダクテュリオス帝国のものでも、アルムバント王国のものでもない。国を持たず、戦争にも関わらず、家族はおろか同胞さえも存在しないであろうお前が…、いったい何の為に、こんな事をしたのだ…!」

 

 アーベントの声に震えが混じり、彼の左拳がわなわなと震え軋んでいる。ホロウにはそれが怒りである事は分かったが、その怒りの裏にあるものが何なのかは分からなかった。

 

「……おれは」

 

 ホロウはようやっと口を開いた。自分の言葉に、アーベントが意識を集中させているのが分かる。

 

「おれが、そう在れと願って造られたものだからだ」

「…なんだ、それは」

 

 ホロウの言葉に、アーベントはいっそう眉を吊り上げて声を荒げた。ホロウは彼の様子を注意深く観察しながら、恐れることなくすらすらと答えていく。

 

「おれは、このような行為をすることを望まれた。そのように造られた。だから、殺した。おれはそういうモノだ。…だが」

 

 尚も続くホロウの言葉に、吊り上がっていたアーベントの眉がピクリと動く。次の返答によって彼ら帝国兵の動きが左右されることは分かっていたが、ホロウは口を閉ざそうとは思わなかった。

 

「だがおれは、おれ自身の本能とは別に、一人の人間を守るという意志で行動している。おれにとっては、その人間一人の命の方が多くの命よりも重い」

 

 自分とアイビーの周囲に、多数の反応が迫っている事を熱源センサーが告げる。この状況からして、それがアーベント配下の帝国兵であろう事は容易に分析できた。

 このままアーベントの神経を逆撫でするようなことを答えては状況が不利になる。そう分かっていても、ホロウは口を閉ざそうとはしない。

 

「おれはその一人さえ守れれば、他には何も望まない」

「殺戮を、その人間の為に止めようとは思わないのか」

 

 間髪入れずに飛ばされるアーベントの鋭い声にも、ホロウは躊躇も気負いもせずに頷いた。葛藤する素振りすら見せないホロウの様子に苛立ったのか、アーベントが表情を険しくする。

 

「思ったところでおれには何も出来はしない。おれは争う人間を殺さずにはいられない…そういうモノだ」

 

 アーベントはしばらくの間、じっとホロウを見据えていた。ホロウはカメラアイに注がれる真っ直ぐで鋭い視線を、一切たじろがずに受け止める。

 やがて、アーベントは目を伏せた。ふうっと短く息を吐くと、顔を上げてホロウを見やる。

 

「……そうか。やはり貴様は危険な存在だな、機械人形!」

 

 そして声を上げると共に、剣を抜いてホロウに向けた。するとそれを皮切りにして、広場の周囲に隠れていた帝国の兵士達がぞろぞろと現れる。皆一様にホロウへと武器を向け、周りを取り囲もうとにじり寄ってきていた。

 

「貴様の存在は、ダクテュリオス…いや、このクレアシオン全体に災厄を招くだろう。そうなる前に、今此処で討たせてもらうぞ!」

 

 怒りを滲ませたアーベントの声に、士気を上げたらしい帝国兵達が同調して怒号を上げる。

 しかし荒い声と殺気を無数に浴びながらも、ホロウは慌てるそぶりさえも無いまま、背後に庇っている愛しい主へと小さく口を開いた。

 

「…アイビー、済まない」

「え…?」

 

 アイビーが顔を上げてこちらを見ているのが分かる。背中にしがみ付く彼女の手をそっと握り返しながら、ホロウは彼女にしか聞こえない声で呟いた。

 

「おれは今から、おれの意志で人を殺す」

 

 言うなり、ホロウはアイビーの身体を引き寄せて左手で抱え上げた。最新の注意を払って握力を調整しながら、決して離さないようにしっかりと抱き寄せる。

 

 それを皮切りに、アーベントが合図を下した。前後左右の四方向から、ほとんど同時に矢が放たれる。いずれもホロウの頭部を狙ったものだった。

 

「…無駄だ」

 

 右手に構えたブレードを地面と平行に構えると、ホロウは土を踏みしめながらその場で素早く回転する。ホロウの身体と共に回転したブレードによって矢は寸分違わず寸断され、ぽたりぽたりと落ちてしまった。

 ちょうど真ん中で分断された矢を見ても、人間には容易に真似することが敵わない技である事が分かる。兵士達がたじろぐ声がした。

 

「おれの邪魔をするな」

 

 兵士達が慄いた一瞬の隙を突いて、ホロウはバックステップで一気に後方に飛び退った。

 そして一人の兵士の頭に、ブレードを握ったままの右手を拳の形にして思い切り振り下ろす。途端に兵士の頭が兜ごとべこりと凹み、その肉体は物言わぬ屍へと成り果てた。

 

「ひ、ひぃぃっ!」

 

 屍となった兵士の後ろに控えていた軍勢へ向けて、ホロウは地面へと崩れ落ちた兵士の屍を蹴り飛ばす。ヒューマノイドの脚力によってかなりの速度で飛ばされた屍が直撃し、バランスを崩した軍勢はドミノのように次々と倒れていった。

 地面に倒れて痛みに顔を歪める彼らの身体を、ホロウは躊躇いなく踏み付ける。

 

 ぐぇっ、と悲痛な声を上げるのを無視して、ホロウは倒れた軍勢の上を走っていく。少女一人を抱え上げたヒューマノイドの重さは、人間一人の屍の比ではない。断末魔の中には骨が砕ける音や、肉が飛び散る音が混じっていた。

 

「ここまでだ!」

 

 怒号と共に、回り込んでいたらしいアーベントが目の前に立ちはだかって剣を向けている。しかしホロウは走る速度を緩める事はせずに、静かにブレードの刃先を彼に向けた。

 

 アーベントがホロウめがけて剣を振り下ろす。ホロウは左手で抱えたアイビーが傷付かないように、身体を反らして右肩でそれを受けた。その行動にアーベントが僅かに瞠目した、その一瞬を狙ってブレードを突き出す。

 

「チッ――ぐうっ!」

 

 心臓を狙って突き出したブレードは、アーベントが僅かに身体を反らして避けた事で脇腹を割いただけで終わった。しかしホロウにとっては、それだけでも充分と言える。

 

 傷を負った事で身じろいだアーベントの横を通り抜けて、ホロウは走り続けた。

 アイビーに負担がかからないように配慮しながら、人間を遥かに超えた速度で広場を――そして街を駆け抜ける。

 

――貴様の存在は、ダクテュリオス…いや、このクレアシオン全体に災厄を招くだろう

 

 記憶領域を探ってある一つのデータを呼び出すと、それと同じ反応を求めてセンサーを働かせる。

 

 走り続けている間も、アイビーはホロウの腕の中でじっと大人しくしていた。その行動の中に彼女からの無言の信頼が現れているようで、ホロウは彼女の身体を離してしまわないようにしっかりと抱きしめる。

 

 止まる事のないホロウの足は、いつしか街の外を駆けていた。

 それでも、ホロウは足を止める事は無い。ホロウが望んでいるものは、未だに見つかっていないのだ。

 

――こんなの、あの嬢ちゃんの幸せじゃねえだろ!

 

 もうすぐ、戦争が始まってしまう。そうなれば自分がどうなってしまうかなど、ホロウは嫌でもよく分かっていた。

 今更、人を殺す事を止めようなんて思う事が無駄だという事は知っている。けれど、戦争による殺戮の先に何があるのかもまた、ホロウは嫌というほどによく分かっていた。

 

――眠って、ホロウ。ずっとここで

 

 だから、その事態だけは避けなければならない。

 顔も知らない不特定多数の人間たちの為ではなく、守るべきたった一人の少女の為に。

 

――たとえあなたが殺戮兵器でも、わたしにとってはかけがえのない人よ

 

  ホロウはダクテュリオス帝国の手から――この世界全体から逃げるように、“ある場所”を目指して走り続けた。

 

 血に濡れた腕の中に抱えられた少女は、必死にその腕と身体を掴んで離そうとはしなかった。