男と少女は、笑っていました。
ふたりは、
かつて男が滅ぼしてしまった場所で、
もう誰も訪れる事のない場所で、
ふたりっきりで笑っていました。
そこには誰も居ません。
男を狙う兵隊たちも、
男にころされてしまう人びとも、
少女をいじめる子どもたちも、
ふたりのほかには、だれもいません。
世界から切り離された場所で、
もう誰もおとずれることのない場所で、
自分たちいがいには誰もいないこの場所で、
ふたりは死ぬまでずっと、ふたりっきり。
男は言いました。
「やがておれはこの場で朽ち果てて、死んでしまうだろう。おまえをひとりにしてしまう」
少女は答えました。
「なら私は、朽ち果てたあなたの傍で、喉を突き刺して死にましょう。
ふたり一緒に、死にましょう」
ふたりは、心の底からしあわせでした。
「…いいのか?」
背後から聞こえてくるホロウの問いかけに、アイビーは小気味よく頷いた。
「いいのよ。どこの誰にでも構わないから…読んでもらいたいの」
そう言って小さく笑う彼女の目の前には、小さな転送装置があった。それはホロウがアスタロトの指示で活動していた頃から存在していた、壊れかけの転送装置だ。
どこへ繋がるのかも分からない為、アスタロトが長らく使用禁止にしていたもの。結局彼の存命中に修理される事は無かったが、数百年の時を経た今になって、この転送装置の事を知ったアイビーが使いたいと申し出たのだ。
無論、彼女自身がどこかに行きたいという訳ではない。
「これが、誰かの手に届くなら…それでいいわ」
アイビーが転送したいと言ってきたのは、彼女が大事そうに胸に抱えている一冊の本だった。
“Alone with you”と題された小さなそれは、この世界に来てからアイビー自身が何日もかけて書き上げたものだった。
涙を流せない男と、片目のない少女――ホロウとアイビーの、彼ら自身の道程を記した本。
アイビーはそれを、他の誰かに読んでほしいのだと言う。
「では、装置を起動するぞ。離れるんだ」
ホロウが声をかけると、アイビーは頷いて転送装置から距離をとる。装置の上にぽつんと置かれた本は、ホロウがスイッチを押すと同時に無数の光に包まれて、やがて消えた。
尾を引く光を眺めながら、アイビーは満足げな笑みを浮かべてぽつりと漏らした。
「…あれが、私たちの墓標」
その言葉につられて、ホロウも光を見やる。尾を引いていた輝きは徐々に薄れ、数秒の間に儚く消えていった。
それでもアイビーは、ずっと光が輝いていた場所を見つめ続けている。
「誰かに読まれる事で、その記憶の中に残り続ける、私たちだけの墓標」
やがて光の名残を見つめるのをやめてホロウに向き直ると、アイビーは唯一人の愛しい人である彼に向かって薄く微笑んでみせた。
「一緒に生きて一緒に死ぬ私たちには、ああいうお墓が相応しいと思うの」
世界を滅ぼした男と、それを愛した少女。大層な墓を造ってもらえるような権利など無い自分達には、ああいった形で残る墓標で充分なのだと、そう言ってアイビーは微笑みを深くする。
ホロウはそんな彼女を見て、薄く微かな笑みを浮かべた。
「……そうだな」
何処へ流れ着くかも分からない彼らの物語が語り継がれたのかどうか、それは誰にも分からない。
alone with you ~2人ぼっち~
- 終 -