第2項【傷付いた青眼】


あるところに、少女が居ました。

 

少女は片方の目を失っていて、

そのせいで周りの人間に気味悪がられ、

いじめられていました。

 

それに耐えかねた少女は、

いじめられたくない一心で、

失った片目を取り戻そうと決めました。

 

 

少女は、

大人たちから

「入ってはいけない」

と言われている場所へと

入っていきました。

 

大人たちでも知らないものが

沢山あるその場所なら、

片方の目を取り戻せると思ったのです。

 

奥へ奥へと進んでいくと、

見慣れない建物がぽつんと建っていました。

 

少女がその中へ入ると、

そこには男がひとり、眠っていました。

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

少女の呼びかけに、

男はゆっくりと目を覚ましました。

 

「ねえ、あなたはだれ?」

「わからない。おれは、おれの過去を知らない」

 

 

 

「過去を知らない…?それってもしかして、記憶喪失?」

 

 ホロウと名乗った男性の言葉に、アイビーは目を見開いた。

 記憶喪失――アイビーには経験がない事だが、知識はあった。自分の過去を忘れてしまう病気に、目の前の男性も侵されているのだろうか。

 アイビーが思わず悲しげに眉を寄せると、ホロウがゆるゆると首を振った。

 

「…違う。再起動したばかりで、記憶メモリの復旧ができていないだけだ。時間が経てば、自然と思い出す」

「再起動…?メモリ…?あなたは、一体…」

 

 ホロウの口から次々と飛び出す耳慣れない言葉に、アイビーは目をぱちくりとさせる。

 それを見たホロウは、無感情な声で「…説明が必要か」と言った。事態を把握できないアイビーは、その言葉にすぐさま頷く。

 すると、ホロウは平坦な声でぺらぺらと話し始めた。

 

「おれは対人戦闘用に作られた人型兵器だ。正式名称、対人殲滅用近距離戦闘型ヒューマノイド。固有名、ホロウ。起動時に最初に認識した人間を主とし、付き従う機能が搭載されている」

「え…と……つまり、あなたは、ロボット…?」

「…そうなるな」

 

 アイビーは時間をかけてホロウが語った耳慣れない単語だらけの内容を咀嚼し、やっとのことでホロウがどういった存在なのかを理解した。

 つまるところ、彼は人工的に作られたロボット。クレアシオンでいうところの、ゴーレムに似たものなのだろう。

 

 目の前で人間と同じように動いているホロウがロボットだとは、アイビーには到底思えなかった。白い肌や銀色の髪、赤い瞳などはどこか作り物めいた美しさがあるものの、仕草などはどこからどう見ても人間にしか見えない。

 

 アイビーはホロウという存在に驚きながらも、ふと周囲の荒廃した景色を思い出して身体を震わせる。

 

「…ねえ、ここはどこなのかしら?」

「ここは、デストルクシオン。はるか昔に人間が絶滅した、機械文明の世界だ」

「えっ、デストルクシオン!?ここが、本当に?」

 

 淡々としたホロウの回答に、アイビーはまたも驚かされた。

 かつて"死神"によってほとんどの人間が絶滅した機械文明の世界、デストルクシオンの存在は、アイビーにとってはおとぎ話のような曖昧なものでしかなかった。その地に今、自分が立っている。心なしか、アイビーは緊張を覚えた。

 

「そっか…わたし、知らない間に転送装置を使っちゃっていたのね…」

 

 森の中で見つけた、台座のような形をした機械の存在が脳裏に浮かぶ。あれこそが、かつてクレアシオンとデストルクシオンを繋いでいた転送装置だったのだ。

 アルムバントがあの森を立ち入り禁止にしていたのは、あの転送装置がみだりに悪用されるのを防ぐためだったに違いない。

 

「…おまえは、ここがデストルクシオンだと知らずに来たのか?」

 

 ホロウが怪訝そうな表情を作って尋ねてくる。それまで能面のような顔だった彼がはじめて"表情"を見せたことに、アイビーは驚きと喜びを感じながら答えた。

 

「実を言うと、そうなの…。けど、ここがデストルクシオンなら、長居すると危険ね。早く森から出ないと、憲兵に見つかっちゃうかも」

 

 立ち入り禁止の森に無断で入っていた事がアルムバントの憲兵に知られたら、投獄されてしまうかもしれない。片目というだけでも奇異の目で見られるというのに、犯罪者の汚名まで被りたくはなかった。

 

 そして、ここから立ち去ろうと決意してしゃがみ込んでいたアイビーが立ち上がると、追従するようにホロウも立ち上がった。

 無言のままに立ち上がったホロウを、アイビーが不思議そうに見やる。

 

「…あなたも、来る?」

「言ったはずだ。おれは、起動時に最初に認識した人間を〝主″として認識し、付き従う。…おまえはおれを起こした。おれの主は、おまえだ」

 

 そこまで言われて、アイビーはようやく思い至った。ホロウを起こしたのはアイビーであり、ホロウが最初に認識した人間は、アイビーなのだ。それはつまり、ホロウが常にアイビーに付き従う、という事につながる。

 

 片目の少女に付いて従う、銀髪赤眼の人型ロボット――それは想像しただけで異様な光景だったが、ずっと一人ぼっちだったアイビーにとって、一緒に居てくれる〝誰か″の存在はとても嬉しいものだった。

 それがたとえ、自分に逆らうことがない、人を模した精巧なロボットだったとしても。

 

「そう…じゃあ、これからよろしくね、ホロウ。私の事は、遠慮なくアイビーって呼んでね」

「ああ…わかった、アイビー」

 

 それはホロウからすれば、ただ〝主″の命令に従って名前を呼んだだけなのかもしれない。けれどアイビーにとっては、自分の名前を嫌味無く呼んでもらうのは新鮮で、くすぐったさを覚えた。

 

 

 

************

 

 

 

「誰にも見つからずに、帰ってこられて良かった…。ここが、私の家よ」

「ああ…」

 

 あれから森を出て、憲兵に見咎められないようにと注意を払いながら歩き、アイビーの家まで帰ってこられた時には既に日が沈みかけていた。

 アイビーの家は、レンガでできた小さく簡素な家だった。部屋は少なく、かろうじてトイレと浴場は付いているものの、どこか殺風景だ。

 

「ごめんね、こんな家で…すぐお茶を…って、必要ないわよね」

「…一人で、生活しているのか?」

 

 アイビーに勧められたクッションを「おれには必要ない」と断って床の上に座ったホロウが、部屋を見回して呟いた。

 アイビーはクッションの上に座って、小さくため息を吐く。

 

「うん…。わたし、子どもの頃に親に捨てられたの。孤児院で育ってたけど、わたしみたいな子どもはいっぱいいるから…孤児院に空きがなくなっちゃって、この家に一人で住むことになって…。学校には…通わせてもらってるけど、もう、行かない」

「何故だ?」

 

 アイビーがホロウに顔を向けると、ホロウは相も変らぬ無表情でアイビーを見詰めていた。しかし、そこにはうっすらと感情が見え隠れしているようにも見える。

 アイビーは視線を俯けて「…ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」と問いかけた。ホロウが頷くのを視界の端で捉えると、口を開く。

 

「…わたし、右目が無いの。昔、事故に遭ったせいで、見えなくなって、取られちゃった。

片目が無いから、学校のみんなも、街のみんなも、私を怪物みたいな目で見てくるの…。

学校で何か問題が起きたら、すぐに私のせいにされて、暴力だって振るわれて…。

魔法もぜんぜん覚えられないし、護身用のナイフを持ってないと、怖くて夜も眠れない…。

 

もうあんな場所、行きたくない…」

 

 学校や街の人々から向けられる忌避の眼差しや、無理やり路地裏に連れ込まれてクラスメイト達に殴りつけられた記憶が目に浮かび、アイビーの視界が滲む。

 泣くのをこらえて身体に力を込めると、喉が締め付けられるように痛くなった。

 

「無くなった片方の目を取り戻せれば、こんな目に遭わずに済むんだって思って、それで、立ち入り禁止の森に入って……」

「デストルクシオンに行き着いて、おれを見つけたのか」

「うん……」

 

 それ以上、アイビーは喋っていられなかった。こらえきれない嗚咽が口の端から漏れて、視界がどんどん滲んで見えなくなっていく。それでも泣くのを必死に堪えていると、不意にアイビーの頭にぽんと手が置かれた。

 

「え…?」

 

 驚いたアイビーが顔を上げると、ホロウがアイビーの頭に手を置いて、ぽんぽんと優しい手つきで撫でている。

 ホロウはまるで人間がするような仕草でアイビーを撫でながら、どこか温かさを感じさせる声で言った。

 

「おぼろげにだが、少しだけ思い出した。〝泣きそうになっている人間にはこうしろ″と、昔、誰かから教わったことがあるらしい。…それに、泣く必要はない。おれはアイビーの味方だ」

「ホロウ…」

「おれはアイビーを守り、傍に居る。アイビーの望むままに行動する」

 

 ホロウの赤い瞳は機械的だが、そこには何か揺るぎない〝核″のようなものがあるように思えた。

そこには、わずかではあるが人間味のある、温かい何かが宿っている。

 平坦で無機質な声音の中にほんの少しだけ人間と同じくらいの暖かみがあるのを感じて、アイビーはぼろぼろと涙を零した。

 

「う…あぁ…っ、うあぁぁあぁぁああぁぁあああぁぁあぁぁああぁぁんっ!!」

 

 とめどなく溢れ出す涙は一向にとまらず、やがてアイビーはホロウに見守られながら大声をあげて泣いた。それまで人目を避け、必死に涙を押し殺していたアイビーが、はじめて人目をはばからずに声を張り上げて泣いていた。

 

 ホロウはぽん、ぽん、と一定のリズムでアイビーの頭を撫でながら、黙って彼女の涙が止まるまで待っていた。

 

 その優しい手つきとは裏腹に、体温を持たない彼の身体は、まるで氷河のように冷たかった。