第3項【血濡れの赤眼】


少女は、男の眼の美しさに

心奪われそうになりました。

けれど、

自分がいる場所が危険なところだと知って、

少女はあわてて立ち上がります。

 

「ここは危ないわ、はやく帰らないと」

 

このままここに居ると、

大人たちにつかまって、

またいじめられてしまうと思ったのです。

 

片目を取り戻す方法は

分からないままだったけれど、

それを気にする余裕はありません。

 

すると、それまで倒れていた男が

立ち上がりました。

 

「あなたも、来る?」

 

少女が不思議そうに言うと、

男は頷いて答えました。

 

「おれは常に、自分を起こした人間と共に居る。おれを起こしたのはお前だ」

 

男は少女に、一緒に居ることを約束しました。

少女は、はじめて一緒にいてくれる人が

見つかって、嬉しくなりました。

 

 

 

少女は男を自分の家に招き入れて、

今までいじめられていたことや、

片目を探していることなどを明かしました。

 

男は少女の頭を優しく撫で、慰めてくれました。

はじめて優しくしてもらった少女は、

その時はじめて、

声をあげて泣いてしまいました。

 

男は少女を慰めながら、静かに呟きました。

 

「おれはおまえの味方だ。おまえの傍にいる」

 

けれど、優しい言葉を呟きながらも、

男の手は冷たいままでした。

 

 

 

 ひとしきり泣くと、アイビーはしゃくりあげながら深呼吸をした。片方しかない目が赤く腫れ、顔には涙の跡がうっすらと残っている。

 けれど、アイビーの顔にはどこかすっきりしたような、晴れやかな色があった。

 

「…跡が付いてるぞ」

 

 ホロウが手を伸ばしてアイビーの顔に付いた涙の跡を拭う。体温のない冷たさが、アイビーには目の腫れを抑えてくれているように感じられた。

 

「ありがとう。…ごめんなさい、急に泣き出したりして…」

「謝る必要はない。声を上げて泣けばストレス発散になると聞いた。悪いことではないだろう」

「…うん、ありがとう」

 

 無機質ながらもどこか温かみを含んだホロウの声に、アイビーは頬をほんのり赤らめて頷いた。

胸が疼くようなくすぐったい感覚がする。アイビーがこんな気持ちになるのは、とても久しぶりだった。

 その気持ちを失わないうちに、アイビーは遠慮がちに口を開いた。

 

「ねえ、ホロウ…街へ出ない?」

「街へ…?」

「うん。あなたと一緒なら、街を歩いても平気な気がするの」

 

 それはアイビーのささやかな願いだった。

 これまで人の目が怖くて隠れるようにしか歩けなかった街を、ホロウと一緒の今なら歩けるかもしれない。とても小さくてささやかな、淡い希望だった。

 

 ホロウは一瞬何かを考えるように黙り込んだが、すぐに頷いた。

 

 

 

************

 

 

 

 ホロウは人工筋肉と外傷を防ぐためのアーマーに身を包んでおり、機械文明が途絶えてしまったクレアシオンにおいて悪目立ちする外見をしている。

 流石にそれではまずいだろうと思ったのか、アイビーがは「そのままじゃ目立つから」と言ってホロウにシンプルなデザインの外套を着せることにした。

 

 眼帯を付けた少女と、外套にすっぽりと身を包んだ男――端から見れば異質にも見えただろう。

 しかし、ホロウと一緒に歩いているお蔭か、アイビーは人の目を気にせずに歩くことができた。

 

「人の目を気にせずに街を歩けるなんて、思ってもみなかった…」

 

 嬉しそうなアイビーの呟きが聞こえたのか、ホロウは視線は正面に向けたまま、アイビーの手をぎゅっと握った。硬質で固く冷たい手のひらの感触が、アイビーにはくすぐったかった。

 

 2人は時折露天商の店に立ち寄ったりしながら、特に行くあてもなく街を歩いていた。アイビーにとっては人目を気にせずに街を歩けるだけで嬉しくて、今はその喜びを満喫したいのだという。

 

 散歩の道中、アイビーはホロウに今のクレアシオンの状態を話して聞かせた。

 

「今のクレアシオンでは、デストルクシオンは"死神"を生み出した世界として恐れられているの。だから、機械文明に頼る事も、魔術と機械を掛け合わせることも、禁忌。それらは全て第二の"死神"を生み出す危険があるから、って、厳しく禁止されているの」

「…なら、お前はおれと共に居るのは危険ではないのか」

 

 露天商の店で、お互いにしか聞き取れない小さな声で会話をする。

 アイビーはホロウの耳に口を寄せると、恥ずかしがりながらやや遠慮がちに呟いた。

 

「いいのよ。私にとっては、たとえ禁忌でも、あなたと一緒に居たいから」

 

 それだけ言って顔を離すと、アイビーは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして俯いた。

 ホロウは何やら納得がいっていない様子で首をひねっていたが、すぐに切り替えて平素の表情へと戻ってしまう。

 そんなホロウの様子を見て、自分だけが恥ずかしがっている事に内心で悔しくなりながらも、アイビーは小さく付け加えた。

 

「はじめてなの。私に、味方だって言ってくれて…守るって言ってくれた人は。あなたが、はじめて。だから、あなたと一緒に居たい、って思ったの」

「……そうか」

 

 ホロウはそれだけ言うと、露天商が展示している品物の中から一つを取ってアイビーに手渡した。

 それは、紫水晶に似た色のガラス玉が嵌め込まれたペンダント。アイビーが内心で欲しいと思っていたものだった。

 

「…昔、誰かから教わったようだ。"女の子には光り物をプレゼントしろ"と」

 

 淡々と告げるホロウに戸惑いながらも、アイビーは露天商にお金を払って、ホロウに向かってほほ笑んだ。

 

「―――ありがとう、ホロウ」

 

 

 そうして2人で過ごし、やがて日が傾きはじめた頃。家に帰るために裏路地を歩いていたアイビーは、ふと気になって隣を歩くホロウに問いかけた。

 

「ねえホロウ…デストルクシオンを滅ぼした"死神"の正体は、あなたも知らないの?」

「ああ…未だにメモリの復旧が追い付いていないらしい。何かの行動をきっかけに、急速に復旧することもあるんだが…」

 

 ホロウは額に手を当てながら答える。未だに彼の記憶は復活していないらしい。

 デストルクシオンで眠っていたホロウならば"死神"の正体も知っていそうなものだが、アイビーにとってはそこまで気になる話題でもなかった。

 

「そう…けど、デストルクシオンが滅んだのは大昔だし…"死神"が今も生きている訳、ないわよね」

 

 そう言って笑いながら正面を向いた時、そこに立っている人物を見て、アイビーの表情が凍り付いた。

 

「あ……っ!」

 

 そこに立っていたのは、アイビーと同年代の3人の少年。意地の悪い笑みを浮かべている彼らは、学校でアイビーを虐めて楽しんでいるグループの中心的なメンバーだった。

 

「よお、アイビー。学校ずる休みして、こんな時間まで男とデートかよ?」

「いいご身分だよなあ、俺らはマジメに学校行ってるってのにさ」

「つーかなんだよ、このヘンな男。お前、こういうのがタイプだったわけ?」

 

 彼らは下品な笑みを浮かべながらアイビーを取り囲み、からかうような言葉を浴びせかけた。

中心に追い込まれたアイビーは俯き、涙を流すまいとこらえている。

 涙を流せば、彼らを助長させてしまうことを知っているのだ。

 

 しかし、涙をこらえるアイビーが何も言えずにいるのをいいことに、彼らのからかいはエスカレートしていく。

 言葉はどんどん鋭く粗暴になり、容赦なくアイビーを傷付けていった。

 

「お前、なんかカンチガイしてねーか?」

「片目女が道端でケラケラ笑っちゃってさぁ」

「お前みたいなモンスター、だーれも相手にするわけねえだろ!」

 

 次第にアイビーの肩が震え始める。それを見た3人が、まるで滑稽なピエロを見ているような愉快そうな顔で笑った。ぎゃははははは、と品のない声が暗い裏路地に響く。

 アイビーは俯きながら唇を噛み締め、何も言い返せない悔しさに耐えていた。

 

 すると、不意に彼らの笑い声がぴたりと止んだ。

 代わりに息を飲むような声と、何かがぼとりと地面に落ちる音が聞こえてくる。

 

「え…?」

 

 訝しんだアイビーが顔を上げると、アイビーの正面に立っていた少年が、自分の腕を見つめながら表情を凍り付かせている。

 少年の視線を恐る恐る負ったアイビーは、「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。

 

 その少年の手首から先が、無くなっていたのだ。

 

 少年の手首は、頸動脈や肉、骨すらもまとめて一直線に切られていた。その切り口は寸分の狂いもなく真っ直ぐで、人工的な傷であることを物語っている。

 そして切り落とされた少年の右手は地面に落ちて、手のひらを天に向けていた。

 

「ぁ…うぁぁ…ああああぁぁぁぁぁあぁああぁあああああああぁああぁぁあッ!!」

 

 少年が狂ったように叫ぶと、それに呼応するかのように傷口から大量の血が溢れ出した。

 赤黒い液体がどろりと零れる様を見て、アイビーは思わず倒れそうになるのを必死でこらえる。

 

「お前たちは、おれの"主"に敵対行動をとった」

 

 ふと、アイビーの隣に立ったままずっと沈黙していたホロウが口を開いた。

 アイビーがそちらを見ると、ホロウは背中に背負っていたブレードを左手で構え、発狂して叫び声をあげる少年を無表情に見つめている。

 ブレードの刀身には、べったりと血が付いていた。

 

「"主"を守るのは、おれの役目だ。…"主"に敵対行動をとるお前たちを危険分子とみなし、排除する」

 

 先程までとなんら変わらない無機質な声で告げると、ホロウは発狂している少年へと歩み寄り、その首めがけて素早くブレードを一閃した。

 呆然と立ち尽くすアイビーには、その動きを目で捉えるだけで精一杯だった。

 

 ぼとり、と生々しい音を立てて、少年の首だけが地面に落ちる。

 先程まで路地裏に響いていた発狂の叫び声は、首が切断される瞬間に断末魔に変わって消えた。

 

「…お前たちもだ」

 

 ホロウは静かな声で呟くと、残った2人のうち、自分に近い場所に立ち尽くしていた少年に狙いを定めた。

 

「ひいっ!?い、いやだ!やめてくれ!死にたくないぃ!!」

 

 光が宿っていない機械的な赤い瞳に見据えられて、少年は涙を散らしながら怯える。

 恐らく必死に逃げようとしているのだろうが、彼の足はすくんでしまい、まったく動こうとはしなかった。

 

 ホロウは少年の命乞いにも耳を貸さず、ブレードを両手で持って突きの構えをとると、少年の左胸――心臓めがけて一突きに貫いた。

 ブレードが少年の胸に突き刺さり、数秒経たぬ内に少年の背中を突き破って貫通する。

 

 ぽたり、ぽたりと血が滴り落ちて、少年が動かなくなったのを確認すると、ホロウは突いた時と同じ速さでブレードを少年の身体から抜いた。

 血しぶきがあがり、ホロウの髪や顔に鮮血が飛び散る。

 

「この場に残っている危険分子は、後はお前だけか」

「ひええっ!!」

 

 ホロウは顔の血を拭うこともせずに、背後で逃げようともがいていた少年へと目を向けた。

 少年はびくりと肩を震わせると、ホロウに背を向けて必死に逃げようと這いずっていく。しかし怯えてしまって身体にうまく力が入らないらしく、その歩みの遅さはまるで亀のようだった。

 

 ホロウは一歩、少年に歩み寄ると、地面を這う少年の頭にブレードを突き立てた。

 ブレードは堅い頭蓋骨を数秒かけて貫通し、少年はびくりと身体を震わせたきり動かなくなる。

 

 たった数分の間に3人の人間が死体へと変わり果ててしまった現場を見て、アイビーはへなへなとその場にへたり込んだ。

 ホロウはその場に立ったまま、自分が殺害した人間の死体をじっと見ていた。

 少しも揺らがない硬質な背中を見て、アイビーの脳裏にホロウが言った言葉が蘇る。

 

――おれは対人戦闘用に作られた人型兵器だ。正式名称、対人殲滅用近距離戦闘型ヒューマノイド。

 

「たいじん…、せんめつ……」

 

 あの時、アイビーはホロウが言っている言葉の半分も理解できていなかった。

 しかし今、身をもって実感した。ホロウとは、こういった行為のために造られた存在だったのだ。

 

 やがて、ホロウがアイビーを振り返る。アイビーは思わず身を固くしたが、驚いたような、呆然としたホロウの表情を見て、ふと悟った。

 

 ロボットであるホロウに、「殺人はしてはいけない事だ」という人間の常識は通じない。彼はあの場でこれが最良であると判断して、殺人を行ったにすぎないのだ。

 ロボットはプログラムに従うもの。ホロウはプログラムに従っただけで、殺戮をしたいという「意志」は彼には存在しない。

 

 先程までホロウと一緒に街を歩き、楽しい思い出を作っていたアイビーには、ホロウを「殺戮のためのマシーン」とはとても思えなかったのだ。

 

「アイビー…」

 

 うわごとのように自分の名前を口にするホロウを見て、アイビーは無償に彼を抱き締めてやりたくなった。

 返り血を浴びて、血の付いたブレードを持つホロウの姿は、誰が見ても殺戮犯にしか見えない。しかしアイビーには、彼が戸惑い、迷っている頼りなさげな少年にしか見えなかった。

 

 ホロウは呆然とした表情のまま、淡々と呟いた。

 

「今、メモリの一つが復旧した。デストルクシオンを滅ぼしたのは……"死神"の正体は……おれだったんだ」

「え……」

 

 ホロウを抱き締めてやりたいと思い、立ち上がろうとしていたアイビーは、彼の一言を聞いて立ち上がる事も忘れて彼を見やった。

 ホロウは己の手を眺めながら、苦しげな声で呟く。

 

「アイビー…やはりお前は、おれと共に居るのは危険だ…」

 

 薄暗い裏路地にさあっと風が舞い込み、濃厚な血の匂いがあたり一面に広がった。