第5項【逃げ惑う青眼】


男は、

大昔にたくさんの人の命を奪った

大罪人でした。

 

狂ってしまった人間によってつくられた男は、

自分の意思とは関係なく、

人の命を脅かしてしまうのです。

 

自分が大罪人だということを思い出した男は、

少女に告げました。

 

「おれと共に居る限り、お前に安息の道はない。だから、おれと別れることを提案する」

 

それは、少女のことを想っているからこそ、

出た言葉です。

 

男は自分と居ることで

少女がつらい目に遭うかもしれないと

心配していました。

 

けれど少女は、

男の言葉に涙を流しながら首を横にふりました。

 

「いやよ、あなたと別れるなんて…!

一緒に居たいって、言ったでしょう?

わたしにはあなたしかいないの!

わたしの味方は、あなたしかいないの!

だから、そんなこと、言わないで……」

 

男と一緒に居ることで

不幸な目に遭うということは、

少女にも分かっていました。

それでも少女は、

自分に優しくしてくれた男と一緒に居たいと

心から思ったのです。

 

少女を悲しませてしまったと思った男は、

少女の身体をやさしく抱き締めました。

 

「…すまなかった。

もう、あんなことは言わない。

おまえと一緒にいることを前提に、

最善の選択を検討しよう」

「…ありがとう」

 

男の言葉に、

少女は小さな声でお礼を言いました。

 

わがままを言っているのは

少女にも分かっていました。

 

少女は男に心の中で謝りながら、

これからも一緒に居られることに

安心していました。

 

 

 

 シックな色合いの肩掛けの鞄に、少しの着替えや食料、ありったけの金銭やどうしても手離せない宝物などがどんどん入れられていく。それほど大きくもない鞄に、それらの荷物は案外すっぽりと収まった。

 

 アイビーはなるべく丈夫な服に着替えて、ホロウが選んでくれた紫色のガラス玉のペンダントを首からさげた。何かの衝撃で外れてしまわないようにと、ペンダントの金具は針金や金属で強く繋ぎとめられている。

 それは恐らく、虐められている環境下で無意識に身に着けた自己防衛なのだろうと、ホロウは静かに分析する。

 

 持ち物が少ないのは、虐めの加害者によって持ち物が損壊されたり侵奪されるのを防ぐため。

 髪を三つ編みに結って身体の前面に回しているのは、その方が髪を防御しやすく、無造作に髪を切られたり引っ張られたりするのを防ぐため。

 恐らくアイビー自身は気付いてはいないのだろうが、彼女の身なりや服装には多くの自己防衛策が練られ、実践されていた。

 

「お待たせ、ホロウ。…行きましょう」

 

 ふと声がかけられて、ホロウは分析を中断する。隣に立ったアイビーの身体や状態に異常が見られないのをスキャンして確認すると、静かに頷いて歩き始めた。

 アイビーの歩調に合わせて、彼女の負担にならない速度で周囲を警戒しながら歩く。隣を歩くアイビーは、安心したような表情でホロウに付いて歩いていた。

 

 片目の少女と、300年前の機械人形―クレアシオンには不釣り合いで奇妙にも見える2人の、長い長い逃避行が幕を開けた。

 

 

 

************

 

 

 

 アルムバントの都市の外周をぐるりと囲む外壁の一部――一際脆くなっている部分を破壊し、ぽっかりと空いた穴から2人は外へと逃げ出した。

 ホロウが3人の少年を殺害した日から数日が経過しているため、そろそろホロウがアルムバントから指名手配されていてもおかしくはない。街の出入り口を使うのは危険だと、ホロウがこの方法を提案したのだ。

 

「酔っ払いの喧嘩で穴が開いたように見せかける為、腕力を調節した。憲兵の目を誤魔化せるかどうかは分からないが、気休めにはなるだろう」

 

 アイビーの歩き方や表情などから彼女の疲労状態や残っている体力を分析しながら、ホロウは時折彼女の手を引き、身体を支えながらも歩を進めていく。

 

 目立つ容姿を外套とフードで隠しながら少しでも大都市から離れようと歩き続けていると、やがて切り立った岩場と鬱蒼と茂る森林地帯へとたどり着いていた。

 

「ここは…あまり人が寄り付かない場所のようだな」

 

 300年もの眠りについていたホロウには、近年のクレアシオンのマップデータは存在しない。データの更新も兼ねて周囲を見渡し、周囲に危険な生物や憲兵が潜んでいないかを確認する。

 

「ねえ、ホロウ。…あれ、あそこに…なにかあるわ」

 

 するとアイビーが何かを発見したらしく、ぐいぐいとホロウの外套を引っ張って声をかけてきた。

 アイビーが指差す方向へカメラアイを向けると、遠くの方に一件の民家がぽつりと建っているのが確認できる。ホロウはカメラアイのズームを調節して様子を探り、人が居ない事を確かめる。

 

「…民家だな。人が住んでいる形跡は見られない。空き家になっているようだ」

「民家があるの?わたしにはよく見えないけど…」

「人間の視力では確認は難しいだろうな。ただでさえここは視界が悪い森の中だ」

 

 丁度いい、あそこで休んで疲労を回復させよう――ホロウがそう口にしかけた時、センサーが反応を示した。

 左方向から、自分達が居る方へ向けて矢が飛んできている。カメラアイでそれを確認すると、ホロウはどの位置に立っているのが危険か、どこへアイビーを逃がせば安全かを素早く判断し、行動に移した。

 

「…っ、アイビー!」

 

 アイビーの身体を自分の方へ引き寄せながらブレードを引き抜いて振るう。こちらへ向かってくる矢に真っ直ぐ突きつけられたその刃先は、木製の矢を中心から二つに分断し、その勢いと殺傷能力を容易く奪い去った。

 勢いを失った矢が、地面にぱたりと零れ落ちる。ホロウは矢が飛んできた方角へカメラアイを向けた。センサーは、すぐ近くに10数人ほどの人間が潜んでいる事を告げている。

 

「12人の兵士が隠れているのは把握した…もう伏兵に意味はないぞ、出てこい」

 

 そう告げれば、茂みに隠れていた兵士たちがぞろぞろと顔を出した。彼らは皆一様に警戒した表情を浮かべながらも、ホロウとアイビーの周囲を取り囲もうとする。

 ホロウはその様子をじっと見つめながら、アイビーの身体を自分の方へと引き寄せて耳元で静かに告げる。

 

「…アイビー。この状況ではおれの隣が一番安全だ。おれから離れるな」

「え、ええ…!」

 

 震えながらもアイビーがしっかりと自分にしがみ付くのを確認すると、ホロウは再度兵士たちに向き直った。

 見れば兵士たちが身に着けている鎧には、アルムバントとは違う国の国旗が描かれている。アイビーに聞けばどこの国のものか分かりそうなものだが、今は確認作業をしている余裕は無かった。

 

「どこの兵士かは分からんが…おれを捕えるために来たのは間違いなさそうだ」

 

 背負っているブレードを引き抜き、正面に立っている兵士に切っ先を向ける。カメラアイに映る兵士の顔が、緊張と恐怖に染まった。

 

「アイビーに危険が及ぶのなら、排除する」

 

 その言葉を皮切りに、ホロウの行動は警戒から戦闘へと切り替わった。ただ兵士たちの動きを見つめるのみだった先程までとは打って変わって、素早く俊敏な動きで的確に兵士たちの急所を突き、戦闘能力と命を奪っていく。

 人間とさほど変わらない容姿で、人間にはおよそ不可能な動きを見せるその戦いぶりは、はたから見れば不気味でもあった。

 

「くっ、この…!犯罪者がっ!!」

 

 ふと自分に向けられた声に、ホロウは正面から斬りかかってきた兵士に向いた。両手で剣を握りしめ、力いっぱい振り下ろされた一撃を、ホロウは片手で持ったブレードで受け止める。

 つば競り合いの状態でカメラアイを兵士に向ければ、ホロウの瞳の中に人工的なものが蠢いているのを感じたのか、兵士は慄いたように悲鳴をあげた。

 

「ひいっ!お、お前…!まさか、人間じゃ――」

「主に害をなす敵であるお前の質問には、答えない」

 

 兵士が何かを言い終えるよりも早く、ホロウはその心臓を一突きに貫いた。潰れた蛙のような断末魔を最後に動かなくなった兵士の死体を投げ捨てるようにしてブレードから引き抜くと、残っている兵士へと身体を向ける。

 

 が、すぐにホロウは動きを止めた。残っている5人の兵士の内の一人が、弓矢をホロウの背後に隠れるアイビーへと向けているのを悟ったのだ。

 

「へへ…これなら兄ちゃん、身動きとれねえだろ?さっきから必死にその嬢ちゃんを守りながら戦ってるもんなあ?」

「…卑怯だな、お前たちは」「仕方ねえだろう、こうでもしねえと兄ちゃんを捕まえるなんてできそうにねえからなあ」

 

 兵士の戦い方を静かに評したホロウに対し、兵士は下卑た笑みを浮かべて見せる。

 すると、自分の存在がホロウを窮地に追い込んでいるのを察したのか、アイビーがとんとんとホロウの背中を叩いて告げてくる。

 

「ホロウ…無理に私を守らなくてもいいわ。あなたの足手纏いになんて、なりたくない…」

 

 涙交じりに訴えられたその言葉には、アイビーの優しさと自己嫌悪が込められているのだろう。

 

 起動後間もないとはいえ、これまで過ごした経験とデータからホロウはアイビーの性格を把握しつつある。アイビーは、自分のせいで誰かが追い詰められる事に耐えられないほどに優しく、そういった時ほど自分を強く責めてしまうのだ。

 

 ホロウは弓を構える兵士への警戒を続けながら、アイビーにしか届かないようにボリュームを絞った声で彼女に答える。

 

「いや…おれが今、こうして動いていられるのは、アイビーがあの時おれを目覚めさせてくれたからだ。そのアイビーを守りたいと、おれ自身が望んでいる。だからお前は、何も気にしなくていい」

 

 戦闘に特化して造られたがために、ホロウは自分が感じた事をうまく言葉で表現することができない。言葉の選定と感情の処理という複雑な作業を同時に行うと、ショートしてしまう可能性があるためだ。

 

 だから、ホロウは自分の感情――プログラム上のものではあるが――を的確に表現できているかは判断ができない。だが、背中にしがみ付くアイビーの心の負担を、少しでも和らげてやれればそれで充分だった。

 

  ホロウは静かに、目の前で弓を構える兵士に向き直る。ホロウが少しでも避けようとすれば、その矢はアイビーの脳天を貫いてしまうだろう。

 

 だが、ホロウが避けずにアイビーを庇えば、矢はホロウの目――カメラアイを狙ってくる可能性が極めて高い。修理用のパーツが無い今の状況でカメラアイを損傷してしまう事態は避けたかった。

 

 ブレードを構えている時間は無い。損傷の危険が高いが、手か腕を使って受け止めるか――ホロウが行動の指針を決定した、その時だった。

 

「――待て」

 

 凛とした落ち着きのあるテノールがその場に響く。その声が聞こえた途端、弓を構えている兵士はそのままに、4人の兵士がその場に控えるように跪いた。

 ホロウは声がした方角――兵士たちの背後へと視線を向ける。

 

 そこには、黒馬にまたがり、高貴な雰囲気を纏った青年が、静かに弓を構える兵士を見下ろしていた。暗さを纏ったその視線に晒された兵士は、びくりと身をすくめて声を震わせる。

 

「貴様…いや、お前。なぜ目の前の男ではなく、少女に矢を向けている?」

「ア、アーベント殿下…!いえ、わたしは何も…!」

「誤魔化すな。お前が卑劣な策を講じ、力を持たない人間に矢を向けていたことくらい、僕には分かる」

 

 青年は馬に跨ったまま、静かに剣を鞘から引き抜いた。ゆらりと煌めく刀身は、目の前に立つホロウから逸れてアイビーに矢を向けていた兵士の首元へ、ひたりと冷たく宛がわれる。

 

「ダクテュリオス帝国の〝勝利″は、どんな小さなものであっても正々堂々と戦って得た勝利でなければならない。卑劣な策に走るお前は、ダクテュリオスの恥だ」

「そ、そんな…!わたしは、ただ…」

「黙れ、帝国の恥さらしが。僕の前から消え失せろ」

 

 振り上げた剣が、無慈悲に振り下ろされた。不快な音をたてて兵士の首が身体から切り離され、ぼとりと地面に落ちる。ぶしゃあっと勢いよく噴き出した血が周囲の地面を赤く染め上げた。

 青年はその様子をつまらなさそうに一瞥すると、剣にこびり付いた血をマントで拭い、慣れた手つきで鞘におさめた。

 

 人を斬る事にも、人を殺す事にも、人を切り捨てる事にも慣れている。〝殿下″と呼ばれていた事を踏まえると、恐らくアルムバントとは別の国の王族なのだろうとホロウは推測した。

 それも、城で指示を飛ばすだけの王族ではない。自ら前線で先陣を切って兵士を先導するタイプの王族のようだった。

 

「…なぜ、味方を切り捨てる?戦力は減り、そちらの戦局も不利になるだけだ」

 

 青年が剣を鞘におさめるのをじっと観察しながら、ホロウは疑問を口にした。事実、この少年があの兵士を切り捨ててしまうまではホロウとアイビーは不利な状況に立たされていたのだ。それを打ち壊しても、この青年に得があるとは到底思えない。

 言外にそう告げたホロウに、青年はすうっと目を細めて小さく鼻で笑った。

 

「貴様には分からないだろうな、機械人形。僕は…いや、帝国はあのような下劣な行いで得た勝利ではなく、正統に力を示すことで得られる勝利を望んでいる。あの男は、帝国の兵士を名乗るにはあまりに愚かすぎたのだ」

「…人間が感じる、誇りというものか」

「そういう事だ」

 

 澱みなく答えた青年に、周囲で跪く兵士たちは異を唱えようとはしなかった。誰一人として疑問を感じている様子は無い。「卑怯な者は切り捨てられる」という行為が当然のことであるかのように、ただ黙って青年の言葉を玉音のように聞いていた。

 思想自体は正しいとも言えるが、いささか異常な光景だ――ホロウは冷淡な感想を抱きながらも、それを口には出さなかった。

 

「…しかし、貴様がここまでの力を持っているとは思わなかった。どうやら僕の読みが甘すぎたようだ」

 

 青年はホロウが殺害した兵士たちの亡骸を眺め――そして、返り血まみれになっているホロウと、その後ろに隠れるアイビーを見て呟いた。

 

 自分の読みの甘さを悔いるでもなく、兵士たちを殺害された事に憤るでもなく、ただ無表情に戦場を眺める様は冷たい人間であるかのようにも思えるが、その瞳には確かな感情が宿っている。事実、ホロウのカメラアイに映る青年の瞳は少しばかり細められていた。

 

「元より、貴様の力を調べるのが今回僕が受けた命だ。これ以上は不毛というもの…。今回は退こう。再び相見えた時は、先程の男のような卑劣な真似はしないと約束する」

「そうだな。アイビーを狙うような行為は、気に入らないうえに戦いにくい」

「あの男の卑劣な行為は、ダクテュリオス帝国の者として謝罪しよう。僕の名は、アーベント・ドールヴァル・フォン・ダクテュリオス…覚えておけ、機械人形よ」

 

 一方的に告げると、青年は手綱を引いた。青年が跨っている黒馬が踵を返し、蹄の音を響かせながらホロウたちに背を向けて遠ざかっていく。

 

 それを見た兵士たちは跪いていた姿勢を解き、倒れている兵士たちの亡骸から剣や鎧の一部などを一つずつ拾い始めた。恐らく形見として遺族にでも渡すのだろう。兵士たちは手慣れた様子で仲間の形見を拾うと、黒馬を歩かせる青年の後を追って去って行った。

 

「人間の誇り、か…おれには縁遠い話だ」

 

 遠ざかっていく青年と兵士たちの背を警戒状態で観察しながら、ホロウは空虚な呟きを漏らした。

 

 背中にしがみつくアイビーが、何かに耐えるようにホロウの身体を抱き締めてくる。

 腕の力を最小限に絞って彼女の手に慎重に触れながら、ホロウは静かに目を細めた。