第9項【その心は檻のなか】


悲しい記憶を思い出してしまった男は、

その痛みに苦しみました。

男からその記憶をすべて打ち明けられた少女は、男をやさしく抱きしめました。

 

「大丈夫、大丈夫だから…」

 

男が罪人だとわかっていても、

少女は男にやさしかったのです。

 

「自分は少女を泣かせてばかりいるのに」

と男はふしぎに思いながらも、

震える手で少女を抱き締めました。

 

けれどそれでも、世界のたくさんの人びとは、

男のことを許してはくれないのでした。

 

逃避行を続けるふたりは、

ちいさな町にたどり着きました。

いろいろな国に住めなくなった人が

集まってできた、とてもちいさな町です。

 

ふたりはそこで、やさしくしてくれる

一人の住人に出会いました。

住人はふたりを家にまねき、

おいしい料理をごちそうしてくれました。

 

けれど、男は料理を食べることができません。

男がそれを申しわけなく思っていると、

住人は男に向かって言いました。

 

「お前がどんな奴でもいい。

どんな事をしてたっていい。

ただ…どんな形であれ、

あの嬢ちゃんだけは…

ちゃんと幸せにしてやれよ。

周りに何を言われたって、

お前がやりたい事をやれ。

お前がやりたいようにやれ。

それであの嬢ちゃんが笑っていられるんなら、な」

 

男はその言葉に、しっかりと頷きました。

住人が満足気にうなずいたとき、

平和な時間をこわす音が聞こえてきました。

 

「戦争だあっ!戦争になるぞぉっ!」

 

という、無情な音が。

 

 

 

 対人殲滅用のヒューマノイド製造の際にアスタロトが最も頭を悩ませたのは、戦争行為を認識することで自動的に発動する殲滅プログラムだった。何を以て「戦争が発生している」と断定するかは明確な答えが無いために難しく、人間でさえ頭を悩ませる問題だ。それを人の思考を模したプログラムに理解できよう筈もない。

 

 そのためアスタロトは殲滅プログラムを常時ロック状態にしたうえで、段階を踏んでコードを認識することで徐々にプログラムが起動するように設定した。そのどれもが戦闘への負担を減らすために設定された、自律回路が比較的少ない処理で認識できる単純なものだ。

 

 一つは「音」。発砲音や衝撃音、何かしらの敵対行動若しくは攻撃に伴って発せられる音が聴覚センサーに届いた瞬間、自律回路が一つ目の解除コードを入力する。

 

 二つ目は「場面」。人間が人間に対して、若しくは他の意志を持った生命体に対して障害を与える、生命活動を停止させる等の流血を伴う争いを視覚センサーが捉え、認識した瞬間に二つ目の解除コードが入力される。

 

 三つ目は「行動」。前述の障害行動に対して、障害を受けた側の人物が報復的な攻撃行動に及んだ場合、または明確に「戦争だ」と宣言若しくは宣戦布告が成された場合、視覚・聴覚センサーが認識、最後の解除コードが入力される。

 

 設定されたコードはそのどれもが単純なものであるため、対人殲滅用ヒューマノイドは戦場においてプログラム解除を素早く行う事が可能となった。

 

 全てのコードが解除され殲滅プログラムが起動したヒューマノイドの自律回路は何においても「殲滅行為」を優先するようになり、それ以外では自らの機能停止、主の生命活動の停止といった最低限の事項しか優先されないようになる。思考プログラムは常に起動しているため何かを「思う」事はできるが、それだけだ。第三者の説得によって自分の意志で殲滅行為を止める事も、不本意な殲滅行為であるからといって活動を停止させる事は出来ない。

 

 まるで赤い靴だ、と彼の人が言った。

 しかし、誰の言葉も聞かずに独りでに踊り続ける赤い靴では困る事もある。

 

 想定外のハプニングによって殲滅プログラムが起動してしまう事態を避けるため、アスタロトは殲滅プログラムの停止にある条件を設けた。

基本的に殲滅プログラムは「全ての戦争行為が認識されなくなった時」に停止する。アスタロトはそこに「主が殲滅行為の停止を命じた場合」にも停止するように条件付けたのだ。

 

 本人ですら止められない赤い靴を、足を切り落として無理矢理に踊りを止めさせるのではなく、言葉一つで踊りを止めさせるための手段を用意した。これならば赤い靴の踊りを制御できるようになり、思わぬところで赤い靴が躍り出したとしても踊りを止める事ができる。

 

 そうまでしてアスタロトが望んだ「戦争行為の撲滅」という歪んだ願いは、願い、造った張本人であるアスタロト亡き今となっては只の歪(ひずみ)に成り下がっている。

 唯一の救いは、返り血で染まった赤い靴を手にしているのが心優しい少女だという点くらいのものだろうか。

 

 そして、今また赤い靴は踊り始めようとしている。

 

 

 

************

 

 

 

「―――戦争だあっ!戦争になるぞおっ!!」

 

 スラムに響いたけたたましい音と、誰かが発したその言葉が聴覚センサーに届き、第一、第三のロックが解除された。アイビーは突然の警鐘に驚いているのか、ホロウの隣で身を竦ませて震えている。

 

 ホロウはすぐさま立ち上がり、家の外へ飛び出した。背後からハイノの声が聞こえたが、ホロウの自律回路は「戦争行動の有無確認」を急務としている為、不要と判断されたハイノの声は聴覚センサーに届かないままに終わる。

 

 外に出たホロウが一番最初に目にしたものは、血だまりだった。

 どうやら剣で斬り付けられて死んだらしい人間が、ホロウの足元に倒れて――転がっている。センサーを通しても生命活動は確認できず、ただ血を流すだけの物体と化していた。

 

 自律回路が早くも第二のロック解除の為に働き始めている。だが、まだデータが足りていない。

 目の前の死体が戦闘行為によって死に至ったのかどうかの確証が得られれば、第二のロックが解除できる。不足したデータを補うため、身体は思考プログラムを無視して動いていく。

 

(このまま進めばどうなるか、分かっているのに)

 

 剣で肉を切り裂く音が聞こえてくる。次いで血が噴き出す音がして、流血の反応をセンサーが拾った。それを受けて、ホロウはスラムの中心部へと走り出した。思考とはまったく別のところで回路が動き、身体が動いていく。

 

(決定的な場面を見てしまえば、どんな事になるかはわかり切っているのに)

 

 思考にノイズが走るが、戦争行為の確認が最優先と判断している自律回路はそれをも無視した。

 過去にもアスタロトの命令とはいえ、何人もの人間を殺してきたのだ。今更になって殲滅行為を躊躇う訳ではないが、今はアイビーが居る。

 

 ホロウが人を殺す度に、優しい彼女は心を痛める。悲しそうに歪んだ彼女の表情を見るのは嫌だった。

 

 けれどその想いですらも、赤い靴を止めるには至らない。

 

 ホロウは僅か数秒足らずでスラム街の中心へと辿り着いた。そして視覚センサーが、黒と紫の国旗がはためいているのを捉えた。以前に出逢った黒馬の皇子の鎧に刻まれていたものと同じ紋章が描かれている。

 

「ダクテュリオス帝国軍…」

 

 中心部の広場にはダクテュリオスの兵士とスラムの住民が集まっていた。兵士達は皆一様に抜き身の剣を構えており、周囲には血まみれの人間が2,3横たわっている。

 中央に立っている兵士――鎧の形状からして恐らく隊長格の者だ――が、住民達に向けて声高らかに宣言する。

 

「繰り返す!この地はたった今より、アルムバント侵攻作戦の第一拠点となる!住民は直ちに退去せよ!これは命令である!貴君らが抵抗した場合、我等は力を以ってこれを行使する!

 

我等ダクテュリオス帝国軍は力の無い者は傷付けないが、力を以って抵抗するというのなら話は別だ!抵抗した瞬間に貴君らを戦闘相手と見なし、全力を以ってこの地を制圧するだろう!

 

繰り返す!直ちに退去せよ!」

 

 一見するとただの警告だが、その裏に脅迫めいた意図が隠れている事は明白だった。

 スラムの住民達もそれを感じ取っているのか、怒りや憎しみの表情を浮かべて反発の声を上げていた。

 

「退去だと?ふざけるんじゃねえよ!」「テメエらの言う通りにする奴なんてここには居ねえよ!」「おれたちは此処しか住む場所がねえんだ!それを捨てろなんて、死ねと言ってるようなもんじゃねえか!」「テメエらの方こそ出て行け!」「そうだ、出て行け!」

 

 一人の罵声を皮切りに、幾つもの怒りの声が兵士達に向けられる。既に数人もの人間が切り捨てられているにも関わらず、住民達の怒りの声は留まるところを知らず、どんどんエスカレートしていった。

 このスラム街に住んでいるのは両国から爪弾きにされた者の集まりだ。生半可な事では消えない程に、帝国や王国との確執が激しいのかもしれない。

 

「…従うつもりが無いらしいな」

 

 高らかに宣告していた帝国軍の隊長が、嘆息気味に言葉を漏らした。そして、兵士達に右手を上げて合図を出す。

 それを見た兵士達が次々と剣を抜いていくのを見て、ホロウは叫びたくなった。

 この後どうなってしまうのか、予測が付いたから。その先を“見て”しまえばどうなるのか、分かったから。けれど自律回路は、必要のない発声すら許してはくれない。

 

――やめろ。

 

 隊長が声を荒げる住民のうち一人に歩み寄り、剣を振り上げる。わずか数秒の間の出来事だが、ホロウの思考プログラムは類を見ない速さで動いていた。

 

――やめろ。

 

 住民が振り上げられた剣に気付いて、逆上し拳を振り上げる。それを見た住民達も、気色ばんだ表情で身構える。今にも兵士に襲い掛かろうとするその様を、見たくないと思った。

 けれど、ホロウができるのは「思う」ところまでだ。その感情によって表情を動かす事も、手を伸ばす事も、声を上げる事も、できはしない。

 

――やめろ!

 

 静かに、剣が振り下ろされた。ぐちゃり、と肉が潰れる音が聴覚センサーに届く。

 住民が振り上げた拳が届くよりも、剣が振り下ろされる方が早かった。その切っ先が的確に住民の首に食い込み、血が流れ、住民がどさりと倒れる。糸が切られた操り人形のように事切れるその様子をカメラアイが捉え、認識した瞬間に、ホロウは悲鳴をあげたくなった。

 

 第二のコードを受けて、ロックが外れる。隊長が住民を切り殺す決定的な瞬間を認識して、ホロウの制御は完全に強制戦闘プログラムが握る事となった。

 

「――あ?なんだテメエ、何見てやがる!」

 

 ホロウに気が付いた一人の男が、声を荒げて近付いてくる。隊長の行動によって周囲はすっかり暴動に包まれた事がこの男の精神状態にも影響しているらしく、その様は今にも殴りかかってきそうな程にいきり立っていた。

 

 ホロウはそれを、じっと観察する。男の挙動を分析し、筋肉の流れを解析した。そうして男の行動パターンを割り出す事で、男の次の行動をある程度予測することが出来る。

 ホロウがどんな存在かを知らずにいる男の行動は予測が付きやすいもので、解析にもパターンの割り出しにもそう時間はかからなかった。

 

「おいコラ!なんとか言えよ!さては帝国のヤツらのスパイか!?」

 

 ホロウからの返答がない事で男は余計に声を荒げ、身勝手な予測を付けて拳を振り上げる。しかし当然ながら、人間の思考と行動よりもプログラムの命令・実行の方が遥かに高速であった。

 

「――ぁ?」

 

 男の腕が、宙を舞う。瞬時に構えて振り下ろしたブレードは、寸分違わず男の右腕を切り離した。

 切り口から血が噴き出すよりも速く、二の太刀で男の胴を切り裂き、寸断する。男の腹を中心に上半身と下半身がぱっくりと綺麗に切り離され、どしゃりと音を立てて上半身だけが地面へ落ちた。下半身だけが取り残されるようにして直立したままの状態で残る。

 

 ホロウはそれには目もくれず、暴動を起こす群衆へと目を向けた。カメラアイが群衆と兵士達の動きを次々と解析し、“誰から殲滅するべきか”優先順位を定めていく。その間も僅か数秒しかかからなかった。

 

 やがて解析が終わると、ホロウはブレードに付いた血を払って群衆へと歩き出す。群衆は近付くホロウに気が付かず、住民が兵士を、兵士が住民を、それぞれ攻撃していた。

 

「っ!?ぐ、うわぁぁぁっ!」

 

 ホロウは集っていた群衆の中の一人、中年の男の頭に手をかけ、力を込めた。人間の握力を優に超える力で万力のようにぎりぎりと締め上げると、皮膚と肉を通して頭蓋骨が軋む音がする。男の口から想像を絶する痛みによる悲鳴があがり、暴動を起こしていた群衆が一斉にホロウへと顔を向けた。

 

「い、いたいぃ!いだぃぃぃ!!!やめてくれぇぇぇぇ!!!」

 

 命がけの懇願はホロウの聴覚センサーには届かない。そればかりか締め上げる力はどんどん強くなり、やがてホロウの指が男の皮膚と肉を突き破って直接頭蓋骨を圧迫し始めた。男が暴れながら声にならない悲鳴をあげ、怒号が飛び交っていた広場が静まり返る。

 

 ホロウが更に力を込めると、広場に乾いた音が響いた。必死に暴れていた男の身体がビクリと一瞬大きく反応した後、ぶらりと両手足が垂れて動かなくなる。ホロウが掴んでいた男の頭から手を離すと、男の身体は力なく地面へと崩れ落ちた。

 

「な…なんだコイツ…!」

 

 慄く群衆の声には構わず、腕部のパーツを360度回転させて手に付着した骨片と血肉を払い、ブレードを振り上げる。

 群衆のうち誰かが悲鳴をあげるのと、ホロウの近くに居た人間の首が飛ぶのは、ほとんど同時だった。

 

「う…あぁ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

  人間は、自分たちと同じ形態をしたものが有り得ない挙動をしているのを見ると恐怖を感じるという。人型のヒューマノイドでありながら人間には到底不可能な方法で人間を殲滅するホロウの挙動はまさにそれであり、群衆は恐怖に包まれた。

それもまた、「効率よく人間を殲滅できるように」という意図でアスタロトが設計思想に組み込んだものである。

 

 広場全体を包んだ悲鳴は、やがてスラム全体を包んでいった。

 

「――兄ちゃんっ!」

 

 不意に、聴覚センサーに聞き覚えのある声が届いた。見ると、角材を持ったハイノが立っている。ここまで激する住民を制してきたのか、角材はやや汚れ、ハイノ自身も肩で息をしていた。

 ハイノは誰一人として生者が居なくなった広場の惨状と返り血にまみれたホロウの姿を見て、怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべる。それを見て、ホロウの感情プログラムに痛みが生まれるような反応がした。

 

「兄ちゃん…お前が……お前が、やったんだな……」

 

 悲痛な声に、答える事は出来ない。それが殲滅には不要なものだと、強制戦闘プログラムが判断しているからだ。ホロウはもう、自分の意志でハイノに答える事も、ハイノを見逃す事も、表情を動かす事さえも、出来はしない。赤い靴は、止まらない。

 

「なんで、何も言わねえんだよ…っ!?なあおいっ、兄ちゃん!」

 

 ブレードの血を払い、ゆっくりとハイノに歩み寄る。ハイノはやるせない表情で、必死にホロウに呼びかけて来た。答える事が出来ないのだとは知らずに。

 

「こんなの、あの嬢ちゃんの幸せじゃねえだろ!なあ、返事しろって!」

 

(わかっている)

 

 ハイノのすぐ近くまで来ると、ブレードを持っていない左手でハイノの首を掴み、その身体を軽々と持ち上げる。途端にハイノは苦しみ、その顔はどんどん青ざめていった。

 

「くっ、が……なあ、こんなの…だれも、わらえねえよ…!」

 

(わかっている)

 

 ブレードを構え直し、刺突の体勢を取る。ハイノは必死にもがいてホロウの手から逃れようとするが、対人殲滅用ヒューマノイドの腕力から逃れられはしない。

 ホロウの異常なまでの腕力と感情を失くした瞳を目にしてようやくホロウが人ならざるものだと察したのか、ハイノはその目に恐怖の色を浮かべた。

 

「な、なあ…にいちゃん…!こんなの、お、まえが…つらい…だろ…!!」

 

(わかっている)

 

 ブレードが、程なくハイノの身体を貫いた。寸分違わず心臓を貫くと、ハイノの身体はびくりと大きく痙攣した後、動かなくなる。完全に生命活動が停止されたと認識すると、ホロウは乱雑にハイノの身体を投げ捨てた。

 

 その死を、悼む事すら許されない。

 

(それでも――おれは、そういうモノなんだ)

 

 涙を流す事すら、許されない。言葉を伝える事も、許されない。「止めろ」と心の中で叫ぶ事さえも無駄なのだと、気付いてしまった。“思い出してしまった。”

 

 それでもホロウの思考プログラムは、苦しんでエラーを出し続ける。痛みと悲しみと苦しみが溢れ出しそうになった。

 

 けれど、泣き叫ぶことは出来ない。

 

 どんなに止めようと思っても、赤い靴はダンスを止めてくれなかった。