2000年の時を生きる白狼一族は、生命力が強く人間よりも遥かに強い魔力を持っている。人間も魔術を使用するだけの魔力は持っているが、白狼一族の持つ魔力は自然現象をも操り、時に災害すらも鎮めると言われている。
最も、白狼一族は滅多に自分たちの里から出る事は無く、一般人の目に触れる機会も少ない為、彼らの強い魔力を目の当たりにした者は殆ど居ないのが現実だった。
そのため、ツヴァイも白狼一族の魔力に関する知識自体はあったが、今までそれを目の当たりにした事はなかった。
アメティは青白く煌々と光る身体でふわふわと宙を漂い、瞠目するツヴァイを見て得意げに笑っている。感情表現の薄いツヴァイが驚いているのが愉快なのだろうか、にししと悪戯っ子のような笑みだった。
「刺される瞬間に、とっさに魂を肉体から離脱させたのじゃ。膨大な魔力を消費するため、数百年に一度しか使えん白狼一族の自己防衛本能、というやつじゃな。簡単に言ってしまえば魔術の応用なんじゃが、まあ人間には逆立ちしても無理じゃろうて」
未だ呆然とするツヴァイに気を良くしたのか、アメティは尻尾を振りながらぺらぺらと得意げに解説してみせる。それを聞いていくうちに、ツヴァイは徐々に冷静さを取り戻していった。
「…つまり、今のお前は半死状態という事か」
「うーん、まあそんなとこじゃな。儂の肉体は残された微量な魔力で腐敗を逃れておる。その気になればすぐにでも戻ることは可能なんじゃが……」
そこで、それまで得意げだったアメティの表情が曇った。元気がよかった尻尾もへにょんと垂れさがり、失意にとらわれていることがありありと分かる。
「何か問題でもあるのか」
「うむ…どうやら儂を刺した短刀におかしな細工が施されておったようじゃ。今の儂は縛られておる…肉体に戻ることができぬ。どうやら、儂を殺そうとしたのは余程の術者と見える。何かの目的があって、儂の肉体か魂かのどちらかを欲しておるようじゃ」
「…犯人の見当がついているのか」
「うむ。刺された瞬間に走った魔力で、大体の目星はついておる。ついておるのじゃが…」
そこまで言った時、アメティは口をぱくぱくと動かした。だが、言葉はおろか息遣いさえも聞こえてはこない。ツヴァイが怪訝そうに見守っていると、アメティはやがてがっくりと項垂れてため息を吐いた。
「ふう…やはりの。犯人に関する情報を、口に出すことができぬようにされておる」
「口封じか」
「そのようじゃ。全く用意周到な事じゃのう。“死人に口なし”とは、よく言ったもんじゃ」
まあ、儂はまだ死んでおらんがのう!そう言ってけらけらと笑うアメティを、ツヴァイは黙って見つめていた。笑っていたかと思えばしょぼくれて、項垂れていたかと思えばまた笑って――忙しい奴だ、と心底思う。
自分よりも白狼のアメティの方がよっぽど人間らしいのではないだろうか。
そんな事を考えていると、アメティが笑うのを止めてツヴァイの傍へ寄った。彼女が数センチ中空を浮いている為、2人の目線はほとんど同じ高さになっている。
「ま、そういう訳で儂は、汝の供をしようと思う。白狼の加護付きじゃ、大船に乗ったつもりで励めい!」
「どういう訳だ」
「まあまあ、男が細かいことを気にするでない!儂は既に汝に心奪われておるのじゃから問題ないじゃろ」
「そういう問題ではない」
「それにまあ、汝から離れとうない…というのも、あるのでな」
もじもじと照れたような表情を見せるアメティに、ツヴァイは小さくため息を吐いた。くるりと踵を返すと、肩越しにアメティに振り返る。
「…来るなら来い。どうせそうなっては誰かに憑いているしかないだろう」
「よ、良いのか…?」
「こうなっては一蓮托生…“俺”は“お前”だ。来ないなら置いて行くぞ」
そう告げると、アメティはぱあっと表情を輝かせて千切れんばかりに尻尾を振った。背後をしっかりと付いて来る様はまるで犬のようで、ツヴァイは無意識のうちに目を細めた。
白狼一族の巫女は死者の国への封印を守る為に祈りを捧げる役割を担っているという。
一族の集落に住む娘の中で一番穢れのない魂を持つ者が巫女として選ばれ、死者の国へ通じる扉の前で祈りを捧げる―――というのが、人間たちの間で伝わっている情報だった。
アメティ曰くその情報は間違っていないらしい。しかし巫女である彼女にも告げられている真実は少ないようで、犯人に関する情報を口にできない今の状況ではツヴァイに教えられることは少ないという。
「儂も、“封印を守る為に祈りを捧げろ”としか言われておらんからのう。それ以外に何をすれば良いのかは分からんのじゃ」
「通信兵から情報は送られてくる。俺の仕事は推理ではなく、あくまで対象の確保だ」
「…ま、それもそうじゃのう」
多くの人々が行き交う市場を人の流れに逆らって黙々と歩くツヴァイの姿は、上背の高さも相俟って悪目立ちしていた。魂の具現となったアメティはツヴァイ以外の目には視えていない為、ツヴァイは彼女との会話を他人に気取られぬようにと最小限の声量で答えている。
すると、不意に口を噤んだアメティがふっと背後を振り返った。振り返っては首を傾げ、向き直ってはまた振り返る、という動作を繰り返す彼女に、見かねたツヴァイが小さく声をかける。
「気にするな。ただの監視役だ」
「監視…?まさか、汝が逃げ出さないようにと見張っておるのか!?」
「俺が居る部隊はそういう所だ」
「そういう所、で済むものではなかろう!部下を信用せんとは、なっとらん職場じゃのう!」
ぎゃあぎゃあと喚くアメティはそのままに、ツヴァイは通りがかった裏路地を一瞥した。ゴミや物が散乱した路地は薄暗くなっていて人の姿を視認する事はできないが、ツヴァイの目には揺らめく赤い灯火が3つ視えていた。
(3人…諜報部隊の連中か)
不意に右耳の通話機が着信を告げた。すぐに路地裏から視線を外し、通話機のボタンを押して応答する。
『ツヴァイさん、暗殺者の情報が入りました。お伝えします』
いつもの生真面目な通信兵の声が届く。告げられる情報を頭に叩き込みながら、ツヴァイは顎を引き、襟で口元を隠すようにして短く言った。
「頼みがある。いいか」
『…公的なものでしょうか』
「私的だ」
『では、一流スイーツ店の新作チョコプリンで手を打ちましょう』
「…この仕事が終わってからだぞ」
『勿論です。それで、頼みというのは?』
現金な申し出に、ツヴァイはやや沈黙した後に頷いた。通信兵が言う「一流スイーツ店のチョコプリン」はかなり高価な品である為アンフェアな取引にも思えたが、今は彼女に頼るほかないのだ。
アメティが魂の具現となっている今、どうしても安全に保存しておいて欲しいものがあった。一連の事件が解決した時、アメティが無事に生き返るためには欠かせないものだ。
「本部に安置されているアメティスタの遺体…あれを保存しておいてほしい」
『…かしこまりました』
「恩に着る」
19歳ほどの女性と22歳の男性という差異がありながら、通信兵とツヴァイは私的にも公的にも付き合いが長い。彼女はツヴァイの要求の真意を聞くことはせず、黙って引き受けた。
恐らくは分かっているのだろう。アメティの遺体を保存したところで、必ずしも良い結末が待っている訳ではないと。当初ツヴァイに与えられた任務の通りに、アメティの遺体を葬れと命じられるかもしれないと。
そこまで推察したうえで、しかし余計な口を挟むことも詮索もせず、ただ黙って手を尽くしてくれる。
そんなドライな面を持った彼女だからこそ、鉄面皮とまで言われるツヴァイと長く交友を保てているのかもしれなかった。
「こりゃツヴァイ!儂という者がありながら、他の女と秘密の会話とはどういう事じゃ!この浮気者めが!」
……が、今はそんな通信兵とは正反対な半死半霊が傍らにいる。ツヴァイはため息を吐くと、通話機のスイッチを切ってアメティをちらりと見やった。
「操を立てるのはお前の役目だ。喚かず黙ってついて来い」
シンプルにそれだけを告げれば、アメティはうぐっと口を噤んで黙りこくった。青白く発光する身体だというのに、赤面しているのが手に取るように分かる。
ツヴァイはさして気にも留めず、黙々と歩を進めた。言いつけ通りに黙って後ろから付いて来るアメティが未だ照れている気配がして半ば飽きれ気味に息を吐く。
その目がどこか優しげに細められている事に、ツヴァイは気付いてはいなかった。
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それからツヴァイとアメティは、通信兵が収集・分析した情報を元に各地を巡り、暗殺者の居場所を探した。
ツヴァイは通信兵の仕事の知識には明るくないが、こういう場合は暗殺者に仕事を回す仲介業者達のネットワークを利用して情報を集めるのが常だ。
仲介業を生業とする連中は正義感が薄い人間が大半を占めている。顧客情報は流せないなどと言う正義漢なぞほんの少数でしかない為、こちらが多少報酬をはずんでやれば喜んで情報を提供してくる。
危険認定された犯罪者の確保の為に犯罪者のネットワークを利用するというのは、どこかおかしな話にも思えるが。
「これではどちらが悪なのか、分かったものではないのう」
旅の道中、アメティがふとそう漏らした事がある。悠久の時を生きる白狼ならではの感じ方でもあるのか、彼女はどこか物憂げにため息を吐いていた。
「善も悪もない。どんな奴も善にも悪にも成り得る。…そういうものだ」
ツヴァイはそんなアメティに対して事もなげに言い放った。実際、善を表わす青い灯火が一瞬にして悪を示す赤い灯火へと変わる事もあれば、赤い灯火がすぐさま青い灯火へと移り変わる事は多々あるものだ。
部隊での過酷な訓練でぼろぼろになっていた自分にパンを渡してきた女性の魂は同情と愉悦の赤に染まっていたし、自分を厳しく教え育てた上官の魂は愛情と期待の青に染まっていた。
そんな人間の魂の変化を嫌と言うほどに視てきた彼が、明確な善悪の境界など存在しないのだという結論に至るまでにそう時間はかからなかったのだ。
「それもそうじゃが…。そんなふうに考えてばかりでは、寂しかろう?」
そんなツヴァイの心中を読み取ったかのように、アメティがぽつりと漏らす。寄り添うように身を寄せてくるが、半死半霊となった身体はツヴァイに触れる事は叶わずすり抜けてしまった。
「…知るか。いちいち寂しがっていたらきりがない」
ツヴァイは表面上アメティの言葉を否定しながらも、それ以上強くは言えなかった。空しい生き方だと、自分でも思う。けれども今更になって豊かな感情を取り戻せるような生き方を、ツヴァイはしてこなかったのだ。
強く否定をする訳でも、肯定する訳でもないツヴァイに、アメティはただ黙って寄り添っていた。
暗殺者への道のりは少しずつ、しかし確実に縮まっている。様々な街を渡り歩き情報を集めて進みながら、ツヴァイとアメティは様々な話をした。
彼ら二人にしか関知することのできない人間と半霊の奇妙な旅は、諜報部隊の監視の目があるにも関わらずどこか穏やかな時間であるようにも思えた。
けれど、幸福な時間は長くは続かない。それはツヴァイが過去の経験から得た教訓だった。
そして案の定、旅の終わりが見えてくる。
ツヴァイの元へ通信兵から暗殺者の居所を特定したという知らせが入ったのは、彼らの旅の期間が1ヶ月に差し掛かろうとした時だった。